ある〜中略〜物語(3)
      ※ 紅珠大先生の例のお話の妄想です。




 時折見せる彼女の悲しげな顔に気づいていた。
 私を見つめる時、何かを言いたそうにしながらそれを飲み込んで。
 笑顔を見せながらもどこか泣きたそうな顔をしている。

 気づいていた。
 けれど、何度尋ねてもはぐらかされてしまって。

 ―――結局何も聞けないままに、別れの時はきてしまった。




「世話になった。」
 別れは彼女と出会ったときと同じ、夜が明けきらぬ空の下。
 …ただ違うのは空の色。あの日から雨は降っていない。

 今ならば誰にも見つからず町を出ることができると、それを教えてくれたのは老医者だっ
 た。


「…お気をつけて。」
 見送る少女は青年を止めはしないが、心配だという気持ちを隠さない。

 少女は知っていた。
 動くことに支障はないが、まだ青年の傷は完全に癒えていないことを。

 もっと居れば良いと少女は言い、青年も留まりたいと心の底では思っていた。
 しかし、青年にはそうできない事情があったのだ。
 ―――時は来た。もう待つことはできない。


 互いにもう言葉はなかった。
 手を伸ばせば届く距離で、ただ相手の目を見つめる。

 ここで別れればもう2度と会うことはない。
 互いが互いの事情でそれを知る故に、再会の言葉は出てこなかった。


「―――元気で。」
 最後にぽつりと一言残し、青年は背を向ける。
 立ち去る彼が振り返ることは 2度となかった。




「一緒に行かなくて良かったのか?」
 青年の姿が消えた頃、老医者が姿を現し声をかける。
 少女は青年が消えた方向を見つめたまま、静かに「はい」と頷いた。

「……私には、私の役目がありますから。」






*







「ご無事で何よりです。」
 屋敷の門前に現れた青年を、男は深々と頭を下げて出迎える。
 青年はそれを一瞥しただけで何も言わず横を通り過ぎた。

 ここは町から少し離れた場所にある、とある貴族の療養用の屋敷だ。
 普段は使われていないそこを借り受け、彼らはここを拠点にして秘密裏に活動していた。

「怪我の方は如何ですか?」
 男は青年のそんな素振りにも気にしていない様子でその後ろを追いかけ、傷の具合を心配
 する言葉を寄越す。
 青年は歩きながら外套を脱ぎ、男の方へと放った。
「大事ない。腕の良い医者だった。」
「そうですか…」
 その答えを聞き男は心から安堵する。

 突如行方知れずになっていた主は、3日後に無事だと連絡を寄越してきた。領主の館から
 盗み出したという証拠の書類と共に。
 そして行方をくらませていた理由が怪我をして動けない状態だったと報告を受けたときは
 血の気が引いたものだ。
 それが無事に戻ってきてくださったことで、ようやく肩の力が抜けた気がした。

「全く…御自ら密偵まがいのことをなさらなくてもよろしいではないですか。」
 それで怪我を負って動けなかったなど、とても笑えない話だ。
 小言の一つや二つ言いたくもなる。
「あの男だけは我が手で仕留めたいのだ。」
 許せと言われてしまえば、男はもう何も言えない。
 滅多に使わない言葉故にその威力は絶大だ。
「……2度はごめんですよ。」
 精一杯返せたのはそれだけで、男は深い溜息をついた。


「それより、踏み込む手筈はどうなっている?」
「密偵にお預けになられた証拠とこちらで調べあげた書類ともども、すでに準備はできて
 おります。」
 後は段取りの調整と最後の詰め。
 それも程なく終わるだろう。そうなれば主の裁可を待つのみだ。
「踏み込むのは明朝でよろしいでしょうか?」
「ああ。」
 決行を明日としたのは計画をより確実に実行するためというより、我が主を休ませるため。
 それを分かっているからか、青年も反論はしなかった。
「あの男もようやく観念する時がきましたね。」
「…ああ。」

 この件が済めば、あの町も救われるだろう。
 過ごしたのは短い間だったが、実態を肌で知るには十分な時間だった。
 地方に飛ばされてもなお懲りていなかった男にはほとほと呆れもするが、おかげであの男
 に引導を渡すことができる。
 地獄の淵でせいぜい後悔すればいい。

 そうして笑顔を取り戻した町で、少女もまた笑うのだろう。

「―――…」
 不意に少女の様々な表情を思い出す。

 美しい少女だった。
 笑顔でも泣きそうな顔でも、毅然とした強さを見せるときも恥じらって頬を染めるときで
 も。
 全てが青年の心を揺さぶり、全ての仕草が愛おしかった。

 ここを離れれば、あの娘には2度と会えない。
 もう、2度と……? 私はそれに耐えられるのか?
 
 答えは―――― 否。



「―――どちらへ?」
 突然元来た方へ踵を返した青年に男は驚き声を上げる。
「忘れ物だ、すぐに戻る。」
 男の手にあった外套は再び青年の手に渡り、羽織った頃には駆けだしていた。


 愚かな選択だと分かっている。
 自分の身勝手な行動が彼女を苦しめてしまうかもしれないということも。
 しかし、どうしても諦めきれなかった。


 ―――共に来て欲しいと。
 望めば彼女は応えてくれるだろうか。




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いきなり話が進みます。

一度は別れたものの、青年は少女を迎えに。
そして少女は…

2012.11.20. 再録



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