ある〜中略〜物語(4)
      ※ 紅珠大先生の例のお話の妄想です。




 しかし、青年が戻ってきたとき、少女の姿はそこになかった。


「あの子は、もう ここにはおらんのじゃ…」
 青年の問いに老医者は肩を落とし首を振る。
「…朝 別れたばかりだろう。」
 ただ不在なのではなく、少女はもうここを出ていったのだと。
 いきなり言われても信じられるはずがなかった。

 当然嘘だと思った。
 別れたのは日が昇る前、今もまだ日は中天までは昇りきっていない。
 何故隠したと問えば、違うと返事が返ってくる。
「あの後、あの子も行ってしもうた…」
 常に朗らかな表情を崩さなかった老医者の気落ちした様子に、青年は嫌な予感を覚える。
 彼女の物言いたげな表情を思い出し、さらなる焦燥感に駆られた。
「…どこへ?」

 聞いてはいけないと頭の片隅で理性が警鐘を鳴らす。きっと知りたくもない事実を突きつ
 けられる。
 しかしそれでも問わずにいられなかった。
 己もまた、少女を諦めることはできないのだ。

「―――領主のところじゃ。」
 少し逡巡した後で、老医者は小さく零すように告げる。
「…あの子は、領主の側室として召し上げられることが決まっておった。」
「な…ッ」
 "側室"という言葉にガツンと頭を殴られた気がした。

(彼女が、あの男のものに…!?)

「領主が娘の美しさに目を留めて… ぜひにと、何度も請われて」
「何故止めなかった!?」

 彼女の悲しげな表情の意味をようやく理解する。…隠した言葉が何だったのかも。

 1人で決めた悲痛な決意に、どうして気づいてやれなかった。
 やっぱりあの時、無理にでもあの手を捕まえれば良かった。


「もうこれしか方法がなかった… 時間がなかったんじゃ……」
「ッ」
 青年は再び足を屋敷の方へと向けた。







*








「待っていたぞ。」
 椅子にふんぞり返った小太りの中年―――この一帯を治める領主である男がニヤリと笑う。
 ようやく手元に来た少女に 彼はいたくご満悦の様子だった。
「ずいぶん焦らしてくれたものだ。」
 領主の家人達によって美しく飾りたてられた少女は、ゆっくりと顔を上げて男の方を見る。
 その静かな瞳には何の感情も映されていない。
「…申し訳ありません。患者の皆様を放っておけなかったのです。」
 口では殊勝なことを良いながら、少女の声にもまた一切の感情はない。


 この男に対して嘘をつくことに罪悪感は感じなかった。

 この男は私の大切な人達を苦しめる、皆の笑顔を奪う者。
 そんな相手に絶対に屈したくなんかなかった。
 だから、ずっとこの言葉で引き延ばし続けてきたのだ。

 …でも、結局断ることなどできなくて。
 これ以上延ばすこともできなくて。

 ―――だから決めたのだ。
 あの人が出ていくとき、私もまた あそこを去ろうと。

 それで良いと思った。

 心は置いてきてしまったから。
 ここにあるのは"私"という抜け殻だけ。


「…それで、約束は守っていただけるのでしょうか。」
 けれど、ただ従うだけは嫌だった。
 だからこの男と取引をした。
「―――勿論だ。税率は元に戻そう。」
「ありがとうございます。」
 もう一度確認して、了承を得ると頭を下げる。

 私の大切な人達。町の皆。
 彼らを守るためだと思えば、これくらい耐えられる。

 …抜け殻を差し出すことくらい、何でもない。


 再び目が合うと、男は舐めるように少女を見ていた。
 その視線は吐き気がするほど気持ち悪いが、それを少女が表に出すことはない。

「今宵、お前の部屋に行く。着飾って待っていろ。」
「…はい。」


 感情は捨てた。
 ここには抜け殻の身体以外は何もない。







*








「今すぐ領主の館に行く。」
 戻るなり側近の男に告げて、青年は周りに指示を出し始めた。
 いきなり慌ただしくなった屋敷に驚いたのはその側近だ。
「お待ち下さい! 明朝の予定では」
「それでは間に合わん。」
 間に合わない。それは青年の心をかき乱す。
 常の己らしくなく焦っていることにも気づいていた。
 けれど、他の誰でもなく彼女のこと。冷静でいられないのは当然だ。

 彼女があの男の側室になる―――あの男のものになる。
(…冗談ではない。)
 そんなもの、誰が許容できるか。

「……分かりました。」
 青年のただならぬ雰囲気に、男は一つだけ深い息を吐く。
「しかし全ての準備はまだ整っておりません。せめて日が暮れるまでお待ち下さい。」




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少女の決意。青年は間に合うのか。
そして話はラストスパートへ。

老医者は老師、側近は李順さんをイメージしてます。
あくまでイメージ。実際の性格とは異なります。←ここ重要

2012.11.20. 再録



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