ある〜中略〜物語(5)
      ※ 紅珠大先生の例のお話の妄想です。




 贅沢なほど明かりが灯された室内に、甘ったるい香が薫る。
 少女に宛がわれた部屋は贅沢そのものだった。

 全て元は領民が苦労して作り出したもの。それを奪い尽くし、まるで湯水のように扱う。
 そんな男にさらに嫌悪感が増した。


「お綺麗ですわ。」
「…ありがとう」
 鏡の向こうの女性に礼を言うと微笑みを返される。
 本音は礼など言う気分ではないのだけれど、この娘に罪はなく、憤りをぶつけるわけには
 いかない。
 少女は一度目を瞑り、小さな吐息と共に 燻る怒りを胸の奥深くに沈めた。

 夜着を着せられ、薄く化粧も施され―――…
 もうすぐ、あの男がこの部屋を訪れる。


 私1人が我慢すれば、町のみんなの暮らしも良くなる。
 だから、領主様の申し出を受け入れた。

 ……本当は怖い、けれど。

 夜着を握りしめる手は微かに震えている。
 それを見られるわけにはいかず、反対の手を重ねて抑え込んだ。



『―――元気で。』
 最後に彼が残した言葉。去っていく背中を、できることなら追いかけたかった。

 もう2度と会えない人を思うと胸が締め付けられるように痛い。
 心は置いてきたはずなのに何故こんなに苦しいのだろう。…未練ばかりの自分のせいか。

 涙がこぼれそうになり、軽く頭を振って浮かんだ人影を打ち消した。





「……何?」
 静かな夜に不似合いな空気に、知らず俯いていた顔を上げる。
 先程から外が何やら騒がしいのだ。しかもそれは段々こちらへと近付いてくる。
 鏡越しに顔を見合わせて、2人で首を傾げた。
「領主様がいらしたのかしら?」
「それにしては、様子が…」
 見てきますと彼女が側を離れる。
 少女がそれを目で追いかけ振り返ったとき、バン!と扉が勢い良く開かれた。

「え……?」

 そこには、闇に溶け入りそうな雰囲気の青年が1人。
 いぶかしむ少女の表情はすぐに驚愕へと変わる。

(何故、貴方がここにいるの!?)
 今朝別れたはずの、2度と会えないと思っていた人がそこにいた。


「何者です!?」
「娘を迎えに来た。」
 相手の問いに答えつつ、青年の紅い瞳は少女へと向けられる。
「ッ」
 目が合った瞬間に、どくりと心臓が跳ねた。
 その瞳が物語る、これは偶然などではないのだと。…彼は少女がいると知っていてここに
 来たのだ。

「貴方、は―――… 何故…?」
 けれど、すでに町を去ったはずの彼が何故ここにいるのか。
 問いは掠れた声になり、夢を見ているのかとさえ思う。

 少女は座ったまま動けない。彼を見つめたままで視線すら動かせずにいる。
 そんな少女と正反対に、青年の方は躊躇いもなく室内に足を踏み入れた。


「何故、貴方が ここに……」
 ゆっくりと近づいてくる彼から視線が逸らせない。
 世話係の娘が少女を守るように間に立つが、青年が目を向けた以降は動かなくなる。
「去れ。」
 ビクリと肩を震わせた娘の表情は分からない。
 けれど、彼がもう一度口を開く前に慌てたように走り去っていった。


「領主、様は…?」
 2人きりで取り残された室内に響くのは彼の足音のみ。
 少女が絞り出した声はか細く、その音に消されそうなほど小さかった。
「領主はすでに捕えた。罪状は様々あるが…ようやく、奴を暴くことができた。」
 目の前に立った彼の手が少女へと伸び、長い指がそっと頬に触れる。
 そして、「間に合った…」と呟いた彼に浮かぶのは安堵の表情。
「君を、迎えにきた。」
 その言葉は少女の耳に優しく甘く聞こえてしまった。
 それできっと緊張の糸が切れてしまったのだ。
「―――…」
 押し込めていた感情が溢れ出て、ほろりと涙がこぼれ落ちる。
 少しだけ困った顔をした彼は、指先でそれを拭ってくれた。


「あの時、君に伝えられなかった言葉がある。」
 そう言いながら青年は少女の前に膝をつく。
 そうして彼は少女の手を取り、少女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私と共に、王都へ来ないか?」
「……え?」

 確かに、去っていく背中を追いかけたいと思った。彼のそばにいたいと願った。
 けれど、それを彼から言われるとは思っていなかった。

「―――君を愛している…愛してしまった。君を、離したくない。」
 触れられた手が熱い。
 引こうとしたのが伝わったのか、逆に強く握られてしまう。
「もう君以外は愛せない。」
 真摯な瞳の奥に偽りなどなく、渇いていたはずの涙がまた溢れた。
 けれどこれは歓喜の涙。
 バラバラだった心と身体が一つになり、その全ては青年へと向かう。

「私も、貴方を愛しています…」
 伝えることは叶わないと思っていた。
 だから、置いてきたつもりだった。
「貴方のそばにいたい…」
 それが本心からの言葉。青年と同じように、あの時言えなかった言葉だった。
 青年は軽く目を見張った後、少女へと手を伸ばす。

「―――…一目会った時から気づいていた。幾千の時を越えやっと巡り会えた。君こそ探
 し続けた私の運命の星だ。」

 そう言って青年は少女を力強く抱きしめるのだった――――…





 この後、青年が国王だと知って少女は再び驚くことになる。
 しかしそれでも共にと願う彼に、少女は迷うことなく頷いた。


 私が共に行くのは貴方が王だからではない。
 愛した貴方のために、貴方のそばにいたいからだ、と。




→エピローグへ



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今回の最大の見せ場。…だと思われるシーン。
無理矢理セリフをねじ込んでみたり。

あとは、短いエピローグが。

2012.11.20. 再録



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