ある〜中略〜物語(2.5)
      ※ 紅珠大先生の例のお話の妄想です。




「こんなところにいらっしゃったんですか。」
 小さな足音が近づいたと思ったら、控えめに声をかけられる。
 そこで初めて気がついたふりをして、空を見つめていた青年は少女へと視線を移した。


「安静にしていて下さいと言ったはずです。」
 まだ青年の傷は塞がっていない状態だ。
 少女のそれは怒った口調ではあるが、それが心配から来るものだと青年は知っていた。
「すまない。少し、空が見たくなってな。」
 その優しさを内心くすぐったく思いながら苦笑いする。

 こんな風に、純粋に心配されたことはほとんど記憶になかった。
 それがここでは当たり前のように与えられる。
 最初こそ慣れずに戸惑いを覚えたものの、今はそれを嬉しく思う自分がいる。

 とても、不思議な気分だ。


「冷えてきましたから、もう戻りましょう。」
 彼女が手にしていた上着を肩に掛けられた。わざわざ持ってきてくれたらしい。
 そんな小さな気遣いにも心が温まる。
「…ああ。」
 言葉には温度を乗せ、首肯で感謝の意を伝えた。


「―――…」
 ―――しかし、背を向けた彼女から見えなくなった途端に瞳を鋭くする。

(…後は、時期を待つだけか。)
 影が消えた先を視線の端で追って踵を返した。














 ―――日々は穏やかに過ぎゆく。

 青年が本来身を置くべき場所と、かけ離れた世界で。


 いずれは戻らねばならないと理解はしていても、

 今しばらく、この日溜まりの中にいたいと願った。














「きゃああああ!」
 いつも静かなはずの朝に不似合いな、女性の甲高い悲鳴が響き渡る。
 驚いて振り向くと、少女が入り口の前で立ち尽くしていた。

「どうした!?」
 ただ事ではない雰囲気に、青年は急いで駆け寄ろうとする。
「こ、こちらに来ないでください!」
 けれど、少女はぱっと視線を逸らすと叫ぶようにそう言った。
 何故かその顔は赤い。
「…あ、あの、朝食の準備が整ったことを、伝えに来たのですけど…… お着替え中とは知
 らず、申し訳ありませんでした…」
 自身の袖で耳まで染まった顔を隠し、それで青年ははたと自分の姿に気がつく。
 下は履いていたものの、上は何も纏っていなかったのだ。
 …うら若い少女の前でこの格好はさすがにいただけなかったか。

「う、後ろを向いていますので…」
 だから着替えてくださいと、少女は消え入るような声で言った。





 きちんと着込んで部屋を出ると、少女は壁に凭れて待っていてくれた。
 一緒に並んで歩きだしたところで、彼女から幾度目かの謝罪の言葉が出てくる。
「本当に、申し訳ありませんでした…」
 先程の出来事のあまりの恥ずかしさに少女は俯いてしまっていた。
 流れ落ちる横髪に隠れ、青年からは表情もよく見えない。

「…包帯を変えるときは平気そうに見えるのだが。」
「あ、あれは… その… 患者を前にした時は意識が違うので……」
 だからあの時は平気なのだと、彼女は語った。

「……」
 その間も一度も視線が合わないことには気づいていた。
 それがどこか面白くなく、振り向かせてやりたいと思う。

 ―――思った時には、身体が動いていた。


「あまり意識しないで欲しい。」
 手首を掴んで振り向かせ、彼女の背を壁に押しつける。
 流れるように軽い動作でありながら、一切の隙なく彼女を壁に縫い止めた。

「あっ あの…!」
 戸惑い見上げる彼女の榛色の瞳が自分を映す。
 それに心からの安堵を覚え、さらに離すまいと掴んでいた手をずらして指を深く絡めた。

「私にも君の恥じらいが移ってしまう。」
「…ッ」
 甘い声音にびくりと彼女の身体が震える。 
 だからと逃す気はなかった。

 朱に染まる肌、熱に潤んだ瞳、柔らかそうな唇が目に入る。

 その全てに噛み付きたいと獣の心が目を覚ます。

「…私は、」
 青年が己の気持ちを告げようとしたその時、―――不意に少女の視線が逸れた。

「――― お離しください…」
 小さな小さな声だった。
 続けて お願いしますと、か細い声が訴える。

 聞かなかったことにして無視して進むこともできるほどの小さな声。
 常の青年なら、それくらいできたはずだった。

「……すまない。」
 しかし、拒絶にしては弱いがその震える声に、青年は逆らうことができなかった。
 どうしても、無理矢理奪う気にはなれなかったのだ。


「先生が待ってらっしゃいます、から…」
 すみませんと最後にまた謝って、少女はパタパタと走り去る。

 青年はそれを追いかけようとはしなかった。








「ダメ… ダメよ……」
 高鳴る鼓動を抑え込もうと胸元をきつく握りしめる。

 これ以上あの人に惹かれてはいけない。
 あの人はいずれここを去る人、そして私は―――

「私、は…―――いえ、やっぱりダメ。」
 頭を振って過ぎった思いを振り切る。

 私の願いは、この町の皆が幸せになること。
 それ以上は望まない。望んではならない。


「私には、果たすべき役割があるのだから……」




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やっぱり寸止め。

SNSでは端折ってしまった部分です。
再録にあたって書き上げました。

2012.11.20. 初出



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