狼陛下の兎 1




 ―――狼陛下は最近、1羽の兎を飼い始めた。

 献上品ではない。
 どこからか迷い込んだ、さして珍しくもない茶色い毛並の、ごく普通の兎だ。

 彼の側近は「早く捨ててきなさい」と眉を顰めて言い、
 隠密は「兎鍋とか美味そうだなぁ…」と呟いた。

 しかし、当の本人はそんな周りの言葉など意に介さず、名前まで付けると誰よりもそばに
 置いた。



 彼女の寝床は、肌触りの良い布にふわふわの綿を敷き詰めた籠。

 彼女の食事は、陛下自ら味を見た後で与えられた。


 片時もそばから離さず、彼女にだけは優しい声で話しかける。

 後宮の女官達も「夕鈴様」と呼び、彼女を甲斐甲斐しく世話をした。


「まるで寵妃みたいだねー」
 そう言って、隠密こと浩大はけらけらと笑った。






「夕鈴」
 彼が呼ぶと彼女はピンと耳を立てて顔を上げる。

「夕鈴、おいで」
 彼が微笑んで手招きをすれば、ぴょこぴょこ跳ねて彼の足元までやって来た。


「……陛下」
 夕鈴を抱き上げて膝に乗せたところで、側近の低い声が背後からかかる。
 びくりと震える夕鈴を安心させるように背を撫でながら、黎翔はやや不機嫌そうにそちら
 に顔を向けた。
「なんだ? せっかく人が癒されているところに」
 しかし、その程度で怯む側近ではない。
 眼鏡のずれを直しながら、黎翔の膝の上にいる兎をビシリと指差す。
「なんだではありません。どうしてここにその兎がいるんですか。」
「私のそばに常に夕鈴がいるのは当たり前のことだろう?」
「ここは政務を行う場です!」
 籠に戻しなさいという李順の言葉も軽く聞き流す。
「今日は充分進んだ。少しくらい休んでも良いだろう。」
「………」
 もう何を言っても無駄かと、李順は深い溜息を付いた。


 今や政務室にも夕鈴専用の椅子がある。
 そこに籠を置き、常に黎翔から夕鈴が見えるようになっていた。

 最初は戸惑っていた政務室の官吏達も、もうすっかり見慣れて挨拶をするほど。
 この状況に今だ難色を示しているのは李順と方淵くらいのものだ。

「狼が兎を愛でるなど、狼陛下のイメージが崩れても知りませんよ…」

 そんな嫌味も、黎翔はただ笑って返すだけにしておいた。







 ―――元々、そばに置いたのは気まぐれだった。

 夕鈴に出会ったのは、ひと月前のこと。
 後宮の回廊から庭をふと眺めた時に視界に入った茶色くて丸いもの。
 それが兎であることに一瞬遅れて気がついた。
 何故ここに兎が?と疑問に思っていると、その兎が視線に気付いたのか顔を上げてこちら
 を向いた。

 そして、榛色の瞳と目が合った時、何故か触れてみたいと思った。
 思うままに庭に降り、不思議と動かなかった兎を抱き上げる。

 柔らかくて温かな重み。
 耳に触れるとピクピクと反応を示し、背中を撫でると頬を寄せてくる。

 ただ、それだけのこと。のはずだった。
 なのに離れがたさを感じてしまった。

 そのまま周りが止めるのも聞かずに部屋に連れて帰り、そのまま飼い始めたのだ。




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2014.5.21. UP



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某御方の兎な夕鈴が可愛すぎてですね。
そしたら陛下が兎を飼い始めてしまいましたww

しかし、今回は完全兎なんですが、次からファンタジーです。←??



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