Tear Spring

第3幕「私の想いは永遠に―――」
(第5回〜第7回)




 パサッ
 ほどけたリアの長い髪の先が床に落ちる。

「姫様っ どうしてあんな事おっしゃったんですか!?」
 その髪を丁寧に梳きながら女官の1人がリアに怒って言った。
「トリナ・・・」
 彼女は1番長くリアに仕えていてそして誰よりもリアに心酔している。
 正直彼女の気持ちもわからなくもないけれど、私は王子を愛せない。
「・・・でもあの方 後宮に興味なさそうだったもの。むしろ辟易してるって感じで。 私も興味ないって知れば
 少しは安心してくれると思ったんですもの。」
 これは言い訳だ。
 本当はリークしか好きにならないと決めたから。そう思ってここに来たから。
 それを行動で示したに過ぎない。
 けれどトリナはそれを知らない。
 リークとの事を彼女にさえリアは内緒にしていたから。
 だからそう言われても納得がいかなかった。
「王子様の事はどうでもいいんです!」
「どうでもって・・・」
 仮にも相手は王子で私の夫なんだけど・・・
 でもそれも姫様至上主義の彼女には関係ない事だ。
「これは女のプライドの問題ですわ。姫様の後宮内の地位は王子様の寵によって決まるんですからねっ。
 着飾るしか能のない他の側室たちに姫様が見下されるなんて私には耐えられません!」
 相手に喧嘩売ってるとしか考えられない言葉を次々と並べる彼女にリアは苦笑いを浮かべる。
「―――トリナ。私は本当に正妃になるつもりなんかないの。」
「姫様・・・」

 一緒に居られないならリーク、貴方を一途に愛するコトが償いになると思ったの。
 リークは王子を愛せと言ったけれど、私が王子を愛する事はないわ。
 貴方だけを見てる。
 王子の事は絶対に好きにならない。

「だからね、トリナ。もう言わないで。ね?」
 少しすまなそうな表情でトリナに笑いかける。
「―――わかりました。」

 この表情に弱いんだよね 私・・・・・・

 昔から「コレ」をされると断れない。
 それに彼女は1度言ったら絶対に曲げないって事もよく知ってるから。
 説得は無理そうだと諦めた。

 ―――ごめんね、トリナ。本当のコト言わなくて。でも もう決めた事だから・・・



 ―――忘れてた・・・・・・
 寝る支度を整えたところで初めて思い出したのだ。
 どうりで周りの女官たちがソワソワしているうえ上機嫌だったはずだ。

「―――こんばんは 姫。」
 簡素な服を身に纏ったシウスが中に入ってくる。
 栗色の髪はしっとり濡れて軽く肩にかかり、昼間会った時とはどこか違って見えた。

 私 「結婚」したんだった・・・

 だから一応段取りは踏まなきゃいけないわけで。
 「興味ない」宣言した後でもそれはそれできちんとやらなくちゃならない。

 ―――サイアク・・・・・・

 心の中で深いため息をつく。
 でもこればかりはどうしようもない。

「それでは私どもはこれで―――・・・」
「ああ、オヤスミ。」
 頭を下げる彼女たちにいたって軽い調子でシウスは言葉を返す。

「! あっ―――・・・」
 考えている間に皆挨拶をして出て行ってしまった。
 後に残されたのは2人だけ。
 少し沈黙が開く。

 ・・・妙に距離を感じるのは俺の気のせいだろうか。

 1歩進んだら彼女の肩がわずかに強張ったのを感じた。
 まぁあんな宣言をしたくらいだから仕方のないことだよな。
 そう思ってシウスは不意にリアににっこりと笑いかけた。
「姫、こういうの読みますか?」

 ―――シウス様 これ持って行ってください。
 出際にサーズから1冊の本を渡された。
 ―――何だこれ?
 ―――姫君もきっと喜ばれるはずです。
 サーズはにっこり笑っている。
 分厚く固い装丁の本。
 最初は何がなんだかよくわからなかったが、その中を見てなるほどと思った。

「・・・政治学の本ですのね。ええ、もちろん読みますわ。」
 手に取り、中をパラパラとめくってリアは嬉々として答えた。
 案の定それを見た彼女の瞳の輝きは今までと比べ物にならないほど違う。
 しかし普通の姫君はこんなモノは読んだりしないものだが。
 そういう所は他の姫君たちと比べみるとちょっと変わっていた。


「あの・・・王子、さま・・・・・・?」
 本はしっかり持っておずおずと口を開く。
 かなり気に入ったようだ。
「・・・?」

 どんな答えが返ってくるかしら・・・?

 少し楽しそうな声だ。
 けれど表情を表に出さない彼女が何を考えているのかまではシウスには解らなかった。
 リアがにっこりと天使の笑顔で微笑みかける。
「・・・こういったものに興味はございます?」


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 夜が明け、小鳥のさえずりが何処からとなく聞こえ始めた頃―――

「・・・それで一晩明かしてしまわれたんですか?」
 戻ってきたシウスに呆れを含んだ言葉でサーズは言う。
 今日は朝から勉強の時間が入っているため彼は先にシウスの部屋に来て待っていた。

 この辺の国々は王子の側近が教育係も兼任する。
 そのため側近というのは国でも最も有能な人物が選ばれる役職でもあった。
 サーズやリークも若いながらに有能なわけである。

「だってさ、彼女俺より数段上なんだ。会話についていくのがやっとでさ。」
 寝ていないわりに興奮した様子でシウスは嬉々として語る。
「父上が言った意味がよく解ったよ。俺ももっと勉強しなくちゃな。」
 まだまだ甘かったようだ。と言いながら着替えの準備を近くに居た女官に頼む。
「・・・・・・」

 姫君の気持ちを考えてあの本はご用意したはずなんですけどね・・・

 王子から姫の事をひと通り聞いていたサ−ズはあの言葉の意味も理解していた。
 だからせめての会話用に彼に持たせたのだったが。
 それが王子の興味を開花させるという思わぬ効果になったのにはサーズも驚いた。

「あ、サーズ。」
 着替えながらシウスが振り向く。
「俺 今夜も姫の所に行くから。」
「は?」
 妙に明るくて不思議に思った。
「少しでも追いつかなきゃ。ってわけで気合い入れて頼む。」
 いつもはめんどくさいとか言って少しでも始めるのを延ばそうとしていたはずなのにものすごい変わりようだ。
 今まではそれでもやるべき事はちゃんとこなしていたのでサーズもいつの間にか諦めると同時に何も言わなくなっていた。
 それが自分から進んでやろうとしているとは。
 なにはともあれいい傾向だ。

 ・・・このまま女性にも興味を持たれるとさらに良いんですけどね。

 けれど彼の様子を見ていると今度こそ期待できそうだと内心サーズは思った。



「あれから殿下は毎日いらっしゃいますわね。」
 満面の笑みを浮かべて花瓶の水を代えながらトリナが言う。
 彼女だけではなく他の女官たちも上機嫌だ。
 10日を過ぎてもシウスがここへ通わない日はなかった。
 上機嫌なのも当然だ。

「廊下を歩いていると優越感がありますもの。他の姫君たちの悔しがる事といったら。」
「そうそうっ。この間殿下をお送りした時なんか扇を叩きつけてたのよ。」
 てきぱきと自分の仕事をこなしながらも話は止まらない。
「私たちの方が先に殿下に顔を覚えられたでしょう? だからこの前嫌味言われまくっちゃってさ。」
「もちろん倍返し?」
「当然よ。悔しかったらウチの姫様みたいにもっと教養を身に付けてみなさいなってね。」
「言えてる。あの人たちって私たちより知らなさそうだもの。」
 そう言って笑い合う。
 リアの周りにいるだけあって彼女たちも並みの女性より教養が高い。
 並外れた政治判断能力を持つ彼女に仕えるためには話が合わなければならないので忠誠心だけでは駄目なのだ。

 そんな彼女たちを見ながらリアは苦笑いする。
「そんな事言わないの。あの方は政治学の話をしに来てらっしゃるだけよ。」
 今ものすごく学ぶのが楽しいとあの方は言っていたし。
 私に負けたくないという対抗心が見えるし。
 きっと他意はないわ。

「あら、理由は何であれ殿下は姫様が1番お気に入りだという事には変わりありませんわ。」
 トリナの言葉に全員が頷く。
「今夜ももちろんいらっしゃるのでしょう?」
 にっこりと笑ってトリナが尋ねた。
 答えはわかっている。
「ええ。そうおっしゃってたわ。」
 その返事にやっぱりと周りは喜んだ。
 このまま2人の仲が進展して欲しいと思っているのにリアは気づいているのかいないのか。
 たぶん気づいていないだろうが。
 
「でも・・・」
 リアが少し眠い目をこする。
「たまにはお昼にいらっしゃって欲しいわね。こうも毎日徹夜だとさすがに辛いわ・・・」
 今度は大きなあくびが出てしまった。
 くすくすっと女官たちが笑う。
「・・・だったら今夜にでもお願いなされば良いんじゃないですか? 嫌とはおっしゃらないでしょう。」
 言ったら許しませんけどね というような顔でトリナが答えた。
「そうね。頼んでみるわ。」


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 夜と違う所といえば、暖かい陽射しの下でゆったりとした時間が過ごせることとお茶が出てくることだと思う。

「ここは本当に驚かされる事ばかりだ。」
 紅茶のカップをお皿に戻してシウスは感心した様子で言った。
 昼間となると毎日というわけにはいかないが、勉強になるのでサーズも特別に許してくれたのだ。
「あら、どうしてですの?」
 くすくすとリアが笑う。
「・・・貴女だけでなくトリナたちの博識も見事なものだよ。ロークワットは誰でもこうなのかい?」
「それは違いますわ、殿下。」
 近くにいたトリナがリアの代わりに答えた。
「私どもは姫様のために勉強したのですわ。・・・と言いましても私の場合は長く傍にお仕えしてましたので自然と覚えてしまった
 のですけれど。」
「何も解らなくては姫様とお話できませんもの。そんなの嫌ですわ。」
 周りもそれに賛同する。

 ふーん じゃあここに居るのは国でも優秀な女性たちなわけだ。

 そうでなければ姫にお仕えする権利もないという事。
 全てはリア姫のために、彼女の影響だというから改めて敵にまわると恐ろしいヒトだと思った。


 シャランッ

 ―――あ、また・・・

 その音を聞いてシウスは思った。
 いつもの気になる音がする。
 リアが腕を動かす度に鳴る3連綴りの金のブレスレット。
 あまり装飾品を付けないだけに一際目立つそのアクセサリーがシウスには不思議でならなかった。
 何故ならそれはあまりにも似合っていなかったから。
 気を抜けば落ちそうな、たぶん男用の大きさだ。
「・・・姫、姫にはそのブレスレット大きすぎないかい?」
「えっ? そ、そうですか?」
 驚いた様子でリアは思わずそれを押さえた。

 ?

 いつもの彼女らしからぬ妙に慌てた様子にシウスは首をかしげる。
「姫様 それ兄上様に差し上げるんじゃなかったんですか?」
 ルディスお兄様にあげるのとか言ってませんでしたっけ? と横からトリナが言う。
「あ、それが・・・結局あげなかったの。でもせっかく作ったんだし・・・」
 ホントはちゃんとあげたんだけど。
 それにコレはお兄様に作ったんじゃないのよね。
 誰にも内緒だけど。



「姫様 ルディス殿下からお手紙が届きましたけど。」
「そう、ありがとう。」
 返事をすると読んでいたシウスから借りた本を閉じる。
 今日 彼は来ない日だ。
「手紙嫌いのお兄様が手紙を送ってくるなんて珍しい事もあるのね。」
 そう笑って言いながら手紙を受け取った。
「ご機嫌伺いではありませんか? 妹姫が心配なんじゃありません?」
「いくらお兄様でもそこまで過保護じゃないと思うけど・・・」 
 女官の言葉にリアは苦笑いする。

 カサッ

『私の大切な妹 リアへ 』と書かれた文字で始まるそれは公用語ではなく懐かしい祖国の言葉。
 端正で少しクセのある文字は間違いなく兄のもので、安心と同時に何だかとても昔に帰りたい気分になった。

『久しぶり 元気にしてるか? お前の事だからそつなくこなしてるだろうけどさ。
 ホントは手紙なんて苦手なんだけどな・・・
 〜〜〜』

「何が書いてありましたの?」
 興味深げに尋ねてくる。
「・・・特に何も。普通の内容よ。貴女の言った通りご機嫌伺いね。あとは我が国の情勢の近況とか。」
 最後のは普通じゃないと言いたいがあえてツッコんだりはしない。

 あれ・・・・・・?

 閉じようとしたところでリアは違和感を持つ。
 読み終わったはずなのにもう1枚ある。
 不思議に思ってめくると兄のとは明らかに違う文字で書いてあった。

 ―――リーク?

 間違うはずがない。
 昔からずっと見てきたんだから。いつも隣で見ていたんだから。

『我が姫君 リア姫様。
 今回突然にお手紙を書くことをお許しください。
 1つ尋ねたい事があり ルディス様に無理を言って手紙を書いてもらったのです。』

 当たり前だけれど他人行儀な物言いにリアは少し寂しい思いをする。
 手紙でくらいもっとくだけた言い方でもいいのに。
 そうしない所が彼なりの礼儀であり"らしい"所なんだけれど。

『姫君に頂いたはずのブレスレットが見当たらないのですが。
 もしかして持ってらっしゃったりしませんか? 
 私の物は持って行かないで下さいとあれほど言っておいたはずでしょう。
 しかし一体いつの間に・・・ってそれはとりあえずいいです。
 とにかくお返しください。』

「あらら・・・ やっぱりバレちゃったのかぁ。」
 もう少しバレないと思ったのになぁ。
 ちょっと残念そうに苦笑する。
 何か彼の物を持っておきたくて、トリナたちもすぐ納得するような物を選んで持ってきた。
「・・・代わりに私が一番気に入ってた指輪置いてきたじゃない。」
「何かおっしゃいました?」
 リアの独り言に女官が振り向いて聞いた。
「何でもないわ。」
 答えて手紙を閉じる。
「返事 早く書かなくちゃ。」

 もちろん返さないって ね。

 楽しそうにリアは心の中で呟いた。




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