Tear Spring

第5幕「・・・気づいて、しまわれたのですね。」
(第10回〜第12回)





 夕闇が世界を覆い尽くす頃。
 街にはポツリポツリと小さな明かりが灯り始め、人々は今日の出来事を語り合う。
 一部を除けばそこは静寂に満ちている。


「・・・ねぇ トリナ。」
 シウスが帰ってからずっとなにやら考え込んでいた様子だったリアが不意に顔をあげた。
「どうかなさいましたか?」
 窓から外を見ていたトリナは振り向かずに問い返す。 
 風が少し冷たくなってきた。
「うん・・・あのね、私 シウス様に何か怒らせるようなコトしたかしら?」
「? どうしてそうお思いになるんですの?」
 パタンと窓を閉めて振り向く。

 怒らせるような事をしたのなら普通は部屋に来たりしないんじゃないだろうか。
 最近は来ないどころか回数が増えている。
 なのにどうしてそんな事を考えるのか。
 ―――確かに元気はないご様子だったけれど。

「・・・だって 私と目を合わせようとなさらないの。笑いかけてもくださらないのよ。」

 前は楽しそうに無邪気に笑ってらっしゃったわ。
 でも最近は何故かぎこちない。
 私が何かしたに違いない。それしか考えられないもの。
 
「考えすぎですわ 姫様。殿下はきっとお疲れなんです。」
 ウチの姫様がそんな事するわけないですもの。
 自信を持ってトリナはリアに言った。
「でも・・・」
「心配ならお聞きになればよろしいでしょう? そんなに心配は要りませんわよ。」
 まだ不安なリアにいたって気楽に答える。
「うん。今度聞いてみる・・・」
 このままじゃすっきりしなくて嫌だもの。



「一体何やってらっしゃるんですか・・・」
 机に突っ伏しているシウスを見たサーズが呆れた表情で言った。
「・・・もう飽きてしまわれたのですか?」
 案外早かったですねー と当たり前のように言う。
「もうってゆーな! しかも飽きてないし!!」
 途端に起き上がってサーズの言葉に力いっぱいの反論。
 急な事だったので不覚にもサーズは驚いてしまった。
「・・・そ、そうですか。」
 ちょっと引いておそるおそる答えると、シウスはまた力なく机に突っ伏した。

 やれやれ・・・

 ふぅ・・・とサーズは息を吐く。
「・・・じゃあ何ふて腐れてるんですか?」
 優しく言って肩から彼を覗き込む。
 シウスはジトッと彼の瞳を見てまた視線を前に戻した。
「―――楽しいさ、新しい事を次々と知っていくのは。」
 彼女に会いに行けば確実に自分の糧になる。
 そしてそれが苦痛ということはけっしてない。
「けど・・・・・・」
「"けど"?」
 サーズは優しく聞き返す。
 最後まで聞くという意思表示だ。
「けど、彼女を見てるとドロドロとした嫌な感情が押し寄せて来るんだ。否が応でもこの前の手紙の事を思い出す。」

 心から笑えない。
 リアとあの剣士が恋人同士かもしれない、そう考えると心が重くなる。
 聞けばすっきりするのだろうか。
 けれど予想通りの答えが返ってきたら・・・と思うとそんな勇気も持てない。
 何よりこの気持ちの正体が解らないのが1番嫌だ。

「・・・手紙?」
 不思議そうにサーズが尋ねた。
 そういえばサーズにはまだ教えていない。
「ああ。リークってルディス王子の側近からの手紙をリアが持っていたんだよ。常識から考えると変だろ?」
「それはまた・・・」
 サーズが驚いたような呆れたような声をあげた。
「あの方が・・・」
 けれど確かに1番可能性がある人物でもある。
 王子の側近ならば 彼の妹姫とも長く一緒に居ただろうから。
 それにあの兄妹は近隣の国々でも評判の仲の良さだった。

「・・・気づいてたのか?」
 たいして驚きもしなかったしその口振りからするとかなり前からか。
「姫君に想い人が居るというのは薄々と。リーク殿とは存じ上げていませんでしたが。」
「やっぱり間違いないんだな・・・」
 シウスの落ち込み度が増す。
 最後の希望も潰えた。
「―――シウス様? 姫君がリーク殿と恋人同士だと不都合なんですか?」
「・・・あれ? そういやなんでだろ・・・」
 別に関係ないじゃないか。
 なのになんでこんな気分になったんだっけ?

 あ、自分の気持ちにはまだ気づいてらっしゃらないんですね。

 頭を捻るシウスを見てサーズは何故だか内心ほっとする。
 前のように戻ったわけじゃないとわかって安心したのだろうか。

 くすりと笑う。
「ゆっくり考えてもよろしいですよ。でもリーク殿の件はお尋ねになった方が良いかもしれませんね。」
「! お前何か知ってるのか!?」
「何も知りませんよ。答えは貴方の中にありますから。」
「!? どういう意味だよそれ。やっぱり何か知ってるんだろ?」
 けれどそれ以上のシウスの食い下がりには応じずに明日の予定を言い始めた。
「教えろよ!」
「それではまた明日。忘れないでくださいね。」
 完全に無視して部屋を出て行く。
「待てサーズ コラ!」
 その声は虚しく部屋に響くだけだった。


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 2人きりで話がしたいと言われ、トリナたちに出て行ってもらってからすでに半刻。
 その間彼は一言も話さずにいた。
 何か言いたげな表情をしているのになかなか切り出さない。
 時間だけが虚しく過ぎていく。
 その沈黙がリアにはすごく辛かった。

「あの・・・シウス様―――・・・」
 一体どうなさったのかしら。
 いつもの快活さは微塵もない彼にそっと声をかける。
 悩み事でもおありなのかもしれない。
 それを私に相談なさりたいのかしら?
 事情がわからないリアにはそれが精一杯の解釈。

「――――・・・・・・」
 彼女の戸惑いを感じ取ってシウスは決心した。
 今言わないと気まずいままになってしまう。
 それは嫌だから。俺だって今まで通り普通に話したいから。
 シウスは1度息を深く吐いて心を落ち着けた後、意を決して顔をあげた。


「・・・・・・リア。貴女に聞きたい事があるんだ―――・・・」
 その真剣な眼差しにリアは瞳をそらす事もできずに息を飲む。
「何、でしょう・・・?」
 ・・・ちょっと怖いかも。
        くに
「―――故郷に好きなオトコが居るだろう。」
 !!?

 ガタンッ

 立ち上がった勢いで椅子が倒れる。
 これはさすがに予想外の攻撃だった。
「な、何を急にっ・・・・・・!?」
 言葉とは裏腹に、顔はわりと正直で真っ赤になっている。
 間違いはないようだ。

 ズキッ

 ――――っ・・・・・・

 その反応はかなり痛かったがとりあえずそれは置いておく。
 今はとにかくハッキリさせたい。
「リーク・・・」

 ギクッ

「―――彼とは手紙のやりとりするほど仲が良いんだよね。」
 彼女の目を真っ直ぐに見る。
 リアの表情が凍り付いていくのが見て取れた。

 ・・・一体どこまで知られてるの!?

 どうして? バレたりなんかしていないはずよ?
 手紙だってトリナたちにすら1度も見られた事ないはず――――・・・

 !
 リアの顔が青くなる。
 彼の様子が変だったあの日、思わず眠ってしまったあの時、手紙は机の上に置いたままだった。
 見られたとすればあの時。
 確か風が強くて・・・


「・・・俺は2人の関係が知りたいんだ。」
 最後にそう言って彼女にとりあえず座るように促す。
 まるで全てを知っているように。リアには彼の表情がそう言っているように感じた。
 彼には全部バレている。よりによって1番知られちゃいけない人に。
「・・・・・・・・・」
 座り直したリアは青ざめた表情で下を向いていた。
「・・・別に責めてるわけじゃないよ。俺が聞きたいだけなんだ。」
 シウスが苦笑いする。
 彼女が悪いわけじゃない。悪いのは彼女がいる立場、姫という国の道具に使われるその地位。
 好きなヒトとも結ばれることさえ許されないその立場が。

 好きなヒト、か―――・・・

「彼、なんだろう・・・?」
「―――はい。」
 観念したというふうに頷く。
 バレちゃいけなかったのだけれど。
 だけどこの人になら知られてもいいと何故か思ってしまった。

「――――話を、」
「え?」
「話を聞きたいな。貴女がどうして彼を好きになったか、とか。」
 答えを見つけたい。
 この気持ちの理由を、初めて知ったこの気持ちの扉を開けたいから。
 彼女の話の中に答えがあるかもしれない。
 全てを解く鍵が。
 そう思ったから。

「そうですね・・・ 私が彼を好きになったのは―――――」
 少しずつ思い出しながら彼女は語りだした。


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「――――好きになったのは突然ではありませんでしたわ。」
 昔の記憶を辿る。
 夢のような思い出、それはとてもおぼろげで時が経てば忘れてしまうかもしれないけれど忘れたくない記憶。
 けれど、今もこの胸に残るあの切ない想いだけはきっと忘れない・・・忘れられない。

「・・・私、昔から"女だから"とお兄様と区別されるのが嫌いでしたの。」
 姫君は政治に興味を持つものではない。それは男の仕事だ。等周りにさんざん言われ続けた。
 奇異な目で見られ、陰口を言われ、
 けれど彼女もそれで諦めるような性格を持ち合わせてはいなかった。
「好きなのにどうしてしてはいけないのか、私には理解できませんでしたもの。ですからお兄様の隣で私も一緒に
 学んでいましたのよ。」
 そんな自分をお父様やお兄様は何も言わず好きなようにさせてくれた。
 だからあいかわらず周りは煩かったけれどそんなものは気にせず無視することにした。
 もちろん姫君としての作法や立ち振る舞いも怠ることなく。
 人の2倍努力もしていた。
「けれどどんなに努力しても周りは私に冷たくて・・・」

 そうだろうな・・・

 シウスも似たような思いを感じた事があった。
 頭の固い保守的な人間はなかなか例外を認めようとはしない。
 それで何かが変わる事をひどく恐れるのだ。

「そんな中お父様とお兄様以外ではリークだけが私の味方をしてくれたんです。」
 その名を出した途端、リアの表情がほころぶ。
「彼はそれが当たり前のように接してくれて・・・ 覚えていくのがとても楽しくなっていきました。」
 "姫はやるべき事はちゃんとしているのだから堂々として良いのです。"
 ずっと言ってもらいたかった事を言ってくれた。
 そして私が彼を好きになるのにそんなに時間はかからなかった。
「・・・それで2人は付き合いだしたわけだ?」
 これはちょっとキツイ言い方だったかな、とちょっと思う。
 でもムカッときたから仕方なかった。思わずポロッと出てしまったのだ。
「いいえ。」
「・・・へ?」
 少し投げやり気味に言った質問に意外な返事が返ってきた。
「片想いの時間の方が長かったですよ。」
 拍子抜けた表情のシウスを見てリアがクスリと笑う。
「だって私はまだ子供で、彼からすれば妹みたいなものでしたもの。悔しいけれど恋愛対象なんて到底ムリでしたわ。」
 彼の周りにいる女性はみんな綺麗でオトナで、私は遠くから見てるだけだった。
 鏡の前に立つと彼女たちとの違いを確信させられて落ち込んでいたっけ。
「1度告白もしてみたんですよ。けれどその時は困った顔をされて・・・結局は断られてしまいました。」
 頭をぽんぽんと叩かれて"その言葉はもっと大きくなってから本当に好きになった人に言いましょう。"って。
 完全に子ども扱いされてた。
 その夜独りで泣いたけれど、大きくなって誰にも負けないくらい美人になったらもう1回挑戦する! と決心したのも
 その時だった気がする。
「好きで好きで子供と姫の立場を利用していろいろしましたわ。」
 他の女性と話しているのを邪魔したり無理言って城下まで遊びに行ったり。
 誰も文句は言えなかった。
「・・・ソレは意外な・・・・・・」
 もっとおしとやかで物静かな人だと思っていた。
「あら、私とてもワガママでしたのよ。恋は欲張りでワガママですもの。相手の全てを手に入れたくなるのですわ。」 
「・・・それはリークにだけって事?」
 俺の前では決してそんな態度は見せないしトリナたちにだってきっと見せていない。
 ワガママも本音もきっとリークだから言うのだろう。

 あ、なんか腹立ってきた。

「ええ。他の人には言えませんもの。彼だから言えるのですわ。」
 そう言って微笑む彼女の表情は彼にしか出す事ができないもの。

 いつかこの笑顔が自分の物になれば―――・・・

「・・・・・・」
 そこでシウスの動きが止まった。
「・・・? シウス様?」

 あ、そういう事か―――

 突然可笑しくなって笑い出す。
「!? ど、どうなさったんですか?」
 驚いて慌てるリアの前でもシウスの笑いは止まらない。

 俺は彼女が好きなんだ・・・

 急に自覚して可笑しくなった。
 どうして今まで気が付かなかったんだろう。

「私何か変な事でも言ったんですか?」
「・・・違うよ。こっちの話だから気にしないで。」
 シウスは笑いをようやく止めて出てきた涙を拭いた。
「そう、ですか・・・?」
 何なのかしら 一体・・・
 けれどまた笑ってくださったから。それだけで良いわ。


「ありがとう。今日はこれで失礼するよ。」
 そう言って席を立つ。
「もうですか?」
「午後からしなければならない事があるからね。また明日来るよ。」
 トリナたちにヨロシク。と言い残して彼は部屋を後にした。




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