Tear Spring

第8幕「心にあるのは"涙の泉"・・・」
(第18回〜第20回)




 机の上に無造作に投げ捨てられた手紙。
 その文字は公用語のそれで、彼から手紙を貰うのは初めての事じゃない。
 しかし今回の手紙の内容はあまりにも・・・

 ふぅ・・・

 シウスは暗い面持ちでその手紙を見やる。
 今 自分はどんな表情をしているのだろうか。
 泣きたいような、心に1つの空間が現れたような、言葉では言い表わし難い何か。
 心でも頭でもいろいろな感情がぐるぐる回っているようだった。
 机を挟んで前に立つサーズの表情も明るいという感じはない。
 ただ その心配そうな表情は何故かシウスに向けられていた。

「姫君には・・・・・・?」
 サーズの問いにシウスは首を横に振る。
「今はまだ・・・」
 伝えるべきじゃない。
 そしてこれは俺が伝えるべき事じゃない。
「ルディス王子が数日後にいらっしゃるというし・・・ 王子が直接お話になるだろうさ。」
 手紙の内容はその「話」と訪問の承諾の事。
 ミラ皇国との戦争に勝利してからすでに1週間が過ぎ、国内のゴタゴタもようやく落ち着いてきたので妹姫に
 会いに来たいという事だった。
 そして彼の、たぶん訪問の本当の目的であろうその「話」は、シウスたちも手紙を見て初めて知った事でリアは
 もちろん知らない。
 知った時、彼女はどう思うだろうか・・・

「・・・シウス様。」
 唐突にサーズが話を切り出す。
 さっきから気になっていた"自分に"向けられたその心配そうな表情は今も変わらない。
「なんだ?」
 問い返すとサーズは1度その手紙をちらりと見てシウスの方を見た。
「―――本当に お伝えしてよろしいのでしょうか。」
「・・・?」
 思いがけなかった言葉。シウスは怪訝な目でサーズを見た。
「姫君が真実をお知りになった時、その時あの方がどうなさるのか・・・ 私にはそれが心配でならないのです。」
 サーズがそう言う意図がシウスには理解できない。
 知った時の彼女の気持ちは心配だがそれとこいつの心配はたぶん違う。
 こいつが心配しているのは彼女じゃない。
「何が心配なんだ?」
 サーズは答えるのに一瞬間を置いた。
「―――国に帰られてしまうのでは、と・・・」
 急に何を言い出すかと思えば・・・
「は? 何だよ ソレ。リアがそんな突拍子もない事をするわけないだろ?」
 考えてもみなかった事だった。
 彼女は誰よりも賢く、そして周りを見る目も豊富だ。
 そんな彼女がそんな愚かな事をするとは 普通考えられなかった。
 今彼女がそんな行動に出れば自国がどうなるか 彼女になら容易に想像できるだろう。
 しかし言われてそれが可能性がないとも言い切れない所が彼女のまっすぐな性格を表している。
 漠然とした不安が迫ってくる。
 そしてサーズは俺にその不安をはっきり自覚させた。
「でも、絶対おやりにならないとも限りませんよね。そのままこちらへは戻らないという事もありえます。」
 リアならやりかねない・・・
 ふっとそんな考えが頭をよぎる。
「リークの事だからかっ・・・」
 他の誰でもなくこれはあの男の事、リアが黙っているわけないという事か。
 あれからリアは時折話してくれるようになった。
 1度 本気で国を捨てて2人で逃げてしまおうかと思った事も。
 だからやりかねないと思えるのだ。
 彼女がどれだけあの男を愛しているか、わかりたくなくてもわかってしまう。

 俺よりあいつを選ぶ事くらいわかっているさ。
 彼女にとっては国よりリークの方が大切なんだ。知っているさ。
 だから本当は知らせたくない。何より彼女がひどく傷つく事がわかっているから。
 本当は伝える事が怖いさ。
 だけど・・・
 
「・・・しかしいつかは知ってしまう事だ。」
 最大限に感情を抑えつけてシウスは答えた。
「妙な所で知られるよりマシだ。彼女の悲しみは最小限に留めたい。」
 じっとサーズの目を見る。
 しばらく沈黙があって、彼はふぅと息を吐いた。
「・・・正当ですね。そこまでおっしゃるなら私はもう何も言いませんよ。」
 随分と大人になられましたね。と19の男に言うべき言葉じゃない事を言って頭をぽんぽんと叩く。
「・・・俺はガキか。」
「私にとってはそうですね。」
 不満げな彼の言葉をあっさり流してサーズは笑う。

「それでは姫君に兄上殿の訪問の件を伝えなくてはなりませんね。」
 そう言って外に控える兵士を呼んでその旨を伝えた手紙を渡す。
 受け取ると急いでその兵士は走っていった。


 そしてルディス王子がシーダーの王城に到着したのはそれから6日後の事・・・


 ---------


 風とともに木々の香りが流れ込んでくる。
 この国ではこのくらい暑くなってくると、日が暮れるまで全ての窓を開け放つ。
 そして今日は昨日までの雨がウソのように晴れ渡って余計に空が澄んでいた。


 涼しげな影を落とす廊下に数人分の足音が響く。
 彼が着いた頃には太陽は天上まで昇り、ちょうど光が中庭の水場にまっすぐ差し込んでいた。
「私の妹姫は元気にしていますか?」
 サーズの先導で歩きながら彼は隣のシウスに尋ねる。
「ええ・・・ 毎日楽しそうにしていますよ・・・」
 シウスはルディスの顔を見ては答えなかった。
「そう、ですか。」
 ルディスの方もそれしか言えない。
 ああそうだ。彼は事情を知っているのだった。
 彼の笑顔でない笑顔を見てルディスは彼が言いたい事を悟る。
 彼女は何も知らない。そう言っているのだ。

 "これ"は俺が言うべきことだから・・・
 だから彼は黙っておいてくれたのだろう。
 しかし怖い。
 話した時のリアの表情と反応を考えると・・・
 きっと 彼の心配も同じものだろうな―――

『・・・・・・』
 会話が続かない。視線も合わせようとはしない。
 2人の悩みは同じだ。
 そんな沈黙を破ったのはサーズの「着きましたよ」の言葉だった。



 コンコンと扉を叩くと返事が聞こえ足音が近づいてくる。

「はい? ・・・あら、サーズ様。どうなさいましたの?」
 きょとんと見上げるトリナにサーズは笑みを返す。
「姫君にお客様です。」
「?」
 まだわからないという感じの彼女にサーズはくすりと笑って少し横に移動してみる。
 そして彼が視線で促す先を見て、トリナは思わず大声で叫びそうになった。
「ルディス殿下っ!?」
「久しぶりだね、トリナ。」
 ルディスが軽く手をあげて挨拶するとトリナは慌てて礼をとる。

「! お兄様がいらっしゃったの!?」
 どうやらリアにも聞こえたらしく、読んでいた本も放り出して扉までやって来た。
 数ヶ月ぶりの兄妹の再会だ。
「元気そうだな。」
 呆れとも安心ともつかぬ顔でルディスはリアを見る。
「随分お早かったですのね。私 お兄様がいらっしゃるのはもっと先の事だと思っていましたわ。」
 嬉しさを抑えきれない。
 リアにしては珍しい、顔を赤らめるほど興奮している。
「もちろんゆっくりしていかれるのでしょう?」
「ああ そのつもりだが・・・」
「良かった。いっぱいお話したいことがありましたのよ。」
 彼女の機嫌は最高潮だ。
 今 彼女の頭の中は話したい事の整理でいっぱいで、他を考える余裕は無かった。
「・・・まぁ 嬉しいのは俺もわかるからいい。けどさ。」
「え? 何です?」
 まだ意識の半分は整理の方に持っていかれたままの状態で聞き返す。
 そんな彼女を見ながらルディスは心底深いため息をついた。
 彼女の両肩を叩くと呆れ全開の表情で語りかける。
「・・・俺に挨拶する前に自分のダンナに声かけろ。」
「あ・・・・・・」
 今初めて彼の存在に気が付いた。
 隅っこで何かいじけた様子でブチブチ言っている。
「シウス様・・・えっと、あの、ご苦労様、デス・・・・・・」
 おそるおそる言うとシウスはじとっとリアの方を見た。
「別に兄妹の挨拶に文句は言えないけどさ・・・ 忘れられるとはね・・・・・・」
「うっ・・・ ゴメンナサイ・・・」

「・・・何遊んでらっしゃるんですか。」
 冷たい一言をさらりと言って、サーズはちょっと驚いているルディスの視線も気にせずにシウスを促す。
 シウスの方も慣れているのでさほど気にしてはいない。
 立ち上がって扉の向こうに居たトリナを呼んだ。
「―――トリナ、君たちにちょっと手伝って欲しいものがあるんだ。」
「? 私共、全員でございますか?」
「うん そう。そんなに時間がかかるものじゃないけどね。」
 まだ少し不思議そうな顔をしながらトリナは他の女官たちも呼ぶ。
「あっ・・・」
 ルディスがその意図に気がついて何か言おうとするのをシウスが目で止めた。
「2人でゆっくり話をして下さい。」
 にっこり笑ってルディスに言う。
 確かに彼女たちが居ては話し難い事ではある。
「好きなだけ話していていいですから。」
 そう言い置いて彼はみんなを連れて行ってしまった。



 彼女たちが急いで用意してくれていたお茶を飲みながら、2人は窓際のテーブルに座って談笑する。
 まだ「あの話」はしていない。
「それでね、この前シーナったら―――・・・」
 こんな風に笑う彼女は久しぶりに見た気がする。
 だからなおさらルディスは言うのを躊躇ってしまった。

 ―――私は笑っている彼女が好きなんです。

 いつかリークが言った言葉。

 ―――そうだな。俺もだよ・・・
 大切なただ1人の妹だ。俺だって言わずにおけるならそうしたいさ。
 けどな・・・ リアも、いやリアは絶対に知らなければいけない事なんだ。
 たとえそれで彼女が笑顔を失ってしまっても・・・

 すまない リーク・・・

 心の中で謝罪して彼は笑うのを止め、真面目な顔でリアの方を見た。
 それで彼女の笑みも消える。見えるのは困惑の表情。
「・・・?」
「リア、今日は大切な話があって来たんだ。」
「・・・大切な?」
 呼吸を1つ。風が1つ入ってきた程の短い間の後。
「実はリークが・・・」
 怖い。この静かな空気も、リアの不思議そうで無垢な表情も。
「リークが、死んだんだ・・・」

 え―――――・・・

 カシャン

 ほとんど中身が入っていないカップがテーブルの上を転がる。
 けれど動揺の方が大きく 落とした事さえリアは気がつかなかった。
「う、そ・・・」
「―――じゃない。確かにあいつは死んだんだ。」


 さっきより強い風が2人の間を通り過ぎていった・・・


 ---------


「ウソよ・・・」
 リアはゆっくり首を振る。

 信じないわ そんな事・・・

「私は信じない・・・っ」
 彼が死ぬなんてそんなバカな事ありえない。
 いつだって笑顔で帰りを待ってる私の所に来てくれた。
 約束をちゃんと守ってくれた。

「彼が死ぬはずないじゃない!」
 思わず立ち上がる。
 強張った表情で頭を抱え込んでいる彼女はあくまでも彼の死を認めようとしていなかった。
「リアっ・・・」
 ルディスが掴もうとした腕も払って後ずさりする。
 お兄様が嘘や冗談で言うはずないのはわかってるけれど。
 だけどっ!
「リークは言ったわ! 私を置いていかないって!」

 ―――姫君を1人にはさせません。絶対に・・・

 私を悲しませるような事は絶対にしないって約束したもの。
 お母様が死んだ時約束したの。
 だからリークが私を残して居なくなるはずない!

 目に涙をためても必死で抵抗しようとする。
 ルディスだってリアと同じ気持ちだった。
 いつも傍らに居た人間が突然居なくなるなんて信じたくはない。
「リアっ 話を・・・」
「嫌よ! それ以上聞きたくない!!」
 聞けば絶対認めなくちゃいけなくなる。
「リーク! 今すぐ来て嘘だと言いなさいよ―――!!」



 天井近くの窓から入ってくる光に空気の塵が反射して光る。
 埃っぽい室内はその光だけでは薄暗く、壁の所々にあるランプには灯が燈っていた。
 屋敷の半地下にある書庫でシウスたちは全員がかりで1つの本を探す。
 本のタイトルを忘れてしまってどこにあるか見当もつかないから内容を頼りに地道に見つけていかなければ
 ならないと彼らは言った。
 そしてそれには多少なりとも知識のある者が良いと思ったからトリナたちに頼んだんだとシウスは付け加えた。

「・・・殿下、先程から何をソワソワしてらっしゃるのです?」
 頼んだ本人が何故だか落ち着かないのでトリナは不思議そうに尋ねた。
 本が見つからないからといった風ではなくて、彼はしきりに外を気にしていた。
「あ、いや・・・ リアたちはまだ話しているだろうかと思って・・・」
「それは――― 久しぶりにお会いになるのですから。」
 当たり前のように言って彼女は笑う。
「そう、そうだよな。」
 それにシウスもあははと笑い返す。
 でも―――
 それでシウスの不安が晴れたわけではなかった。

 もう彼は話した頃だろう。
 リアがそれをどう受け止めるか・・・

 ドンドン!

『・・・?』
 いつになく慌てたような荒々しい扉の叩き方に全員の視線がそちらへ向く。
 1番そこに近かったサーズが開けると、息を切らして顔を真っ青にした兵士がそこに立っていた。
「サーズ様! 殿下もこちらにおられますよね!?」
「・・・何事だ?」
 緊迫した様子で聞き返すと、挨拶の礼もすっかり忘れて彼は答える。
「皆様 早く姫君のお部屋へお戻り下さい! リア姫様が・・・!!」
『!!?』
「リアが何だって!?」
「とにかく早くお部屋へ!」



 全員が部屋に戻ると、そこにはベッドに眠るリアとその傍らに立って彼女を見るルディスの姿があった。
「ルディス王子・・・」
 シウスが声をかけると彼は振り向く。
「ああ 急がせてしまってすまないね。リアが倒れて私も気が動転していたようだ。」
 彼の顔に浮かぶ表情は苦い口元だけの笑い。
 彼女が倒れた原因はすぐにシウスとサーズにはわかった。
「ルディス殿下!」
 つかつかとシウスよりも前に歩み出てきたのはトリナだ。
 ルディスは何を言われるか予想がついていた。ルディスも彼女との付き合いは長い。
「トリナ・・・」
「姫様に何をおっしゃったのですか!? それで倒れられたのでしょう?」
 ・・・絶対に言われると思っていた。
 彼女はリアの事が1番で他の誰よりも強く思っているから。
 責められるのは覚悟していたよ。
 ルディスは兄としてのその事の嬉しさとトリナにはわからない悲しみが混じった笑みを向けた。
「ごめん、トリナ・・・」

 それ以上は言えない。リークのためにもリアのためにも・・・

 それだけ言ってルディスはシウスの方に向き直る。
「私はもう帰ります。」
「あ、では一緒に行きます。皆はリアを見ていてくれ。」
 まだ不満げな表情で見ているトリナを置いて、逃げるように2人は出て行った。



「リアの事は任せます。」
「・・・はい。」
 半分ほどの距離を進んだ所でやっと話したのはそれだけ。
 サーズも部屋に置いてきたので今ここに居るのは2人だけだ。
 こういった私的な場で同等な相手と2人きりになるのは初めてなのでお互い勝手がわからなくて戸惑っていた。

「―――王子。1つお聞きしてもいいですか?」
「? どうぞ。」
 聞いてもいいのかな・・・とも一瞬思ったが、シウスは思いきって聞いてみた。
「・・・王子も彼の死を認めたくなかったりは?」
 彼はリアの恋人以前にルディスの1番近い側近だ。
 自分だってサーズが突然死んでしまったら認めたくはない。
 覚悟はしていても感情だけはどうしようもないのだから。
 その質問に答えるようにルディスは小さく笑った。
「正直認めたくなかったですよ。3日くらいは眠れませんでした。」
 合同葬儀という形で死んだ兵士たちの弔いの儀式があった後も実感がわかなかった。
 すぐいつものように部屋の扉を開けてひょっこり入ってくるような気がして。
 ふと横を見るとそこに立っているような気がして・・・
「でも誰かがリアに伝えに行かなくちゃいけないと思って・・・」
 そう思ってやっと受け止めた。
 その役目は自分にしかできないと、使命感を力にして初めてできた事だった。
「・・・私でもそうなのに、リアがすぐに受け止められるとは思っていませんでした。」
 予想していた結果だった。
「―――あの子が目覚めたらできる限り力になってあげて下さい。・・・これは貴方に言うべき言葉じゃないかも
 しれませんが。」
「・・・最初からそのつもりですよ。」
 言った後 顔が熱くなってきたので隠すように反対の方を向いた。
 ルディスはそれを見て心の中でくすりと笑う。
 リークが言っていた意味もリアが心を許す理由もわかった気がする。
 以前何かの公式な場で会った時とはまったく違う印象があるが。
 前はもう少し全てに諦めかけたような雰囲気があった。
 けれど人は変わる。
 そして今の彼にならリアを任せてもいいと思えた。




←戻るにおうち帰るに次行くに→