Tear Spring

第12幕「通じ合えない事もあるのです。」
(第29回〜第31回)




「・・・会いに行くかな。」
 突然ぽつりとルディスが呟いた。
 朝 机の上に積み上げられていた書類もひと通り処理し終えてひと段落した頃の事である。
 部屋には彼の他にも何人も人が居て、出入りも激しく何となくせわしかった。
「しばらくは何処の国も動きそうにないし・・・」
 ミラ皇国の敗戦でアクラム側は慎重になって目立った動きは無くなった。
 少なくとも自分が行って帰るくらいの間では火種は起こらないだろう。
 それに元気になったと言うリアにも直接会って話をしたい。
 あの時言い残した事もあるし。
「今なら父上もお許しになるだろうか・・・」
 それら全て独り言なのだが誰もがそれにぴくりと反応する。
「行く前にリアには知らせないとな・・・ あ、王子にも。」
 いつも嫌いだと言っている手紙だが、妙にいそいそと準備をし始めた。
 どうやら本気らしい。

「・・・またお独りで行くとかおっしゃいませんよね?」
 彼の近くに居た1人が 耐えかねて尋ねた。
 顔をあげてルディスはその言った相手をじっと見る。
「あの時はリークが居なくなってすぐだったからだろ。」
 ルディスは彼以外を近くに置こうとしなかったから あの時は誰も一緒に行く者がいなかったのだ。
 けれど今度はそうはいかないだろう。
 今だ彼自身は他の者をつけようとは思わなかったが 対面上王子が独りで出向くというのはあまり好ましくない。
 彼は部屋を一瞥して仕方なさそうに言った。
「・・・誰か一緒に来るか?」

 !!

 その途端、待ってましたとばかりに その場に居た者たちが一斉に名乗りをあげた。
「私ではダメでしょうか?」
「いえ、ここは私が・・・」
「いやいや 私をゼヒ・・・!」
 今までやってた仕事をも放りだしてどっと彼の所に人が押し寄せる。
 危機すら迫る彼等の様子にさすがのルディスも少したじろいだ。
「い、いや 1人でいいんだが・・・」
 何なんだ 一体。
 誰も一歩も引こうとせず さらに口論にすらなろうとする勢いだ。
 シーダーに行く事がそんなに重要な事か ルディスにはよくわからない。
 行った奴に何か利益になるような事があったか?

「・・・お前たち 一体何が目的だ?」
 コンコンと拳の出っ張った部分で机を叩いて黙らせてから ルディスが呆れた声で言った。
 理由も無くこんなに大勢の人間が行きたいと言うはずが無い。
「わ、私はティーナ嬢に用が・・・」
「ユキナさんに・・・」
 1人が言うと続けて周りも言い始め、全員が似たような返事を返してきた。
 照れ臭そうに言う者、妙にソワソワした者、面白いほどに解り易い。
「要するに全員リアの女官たちに用があるってワケか・・・・・・」
 こくりとみんなが同時に頷く。
 確かに彼女たちは国でも最高クラスの教養と魅力を備えているわけだが。
 居なくなった後もまだここまで影響力があるのか。
「―――と言っても私は1人しか必要ない。さて、どうしたものか・・・」
 しかし考えてみたところでいい方法が浮かぶわけでもない。
 だいたい全員似たような理由なのだ。
 全員が意中の相手に会いたい、それだけだ。

「・・・殿下。」
 そこへ1人の男性が進み出た。
 彼より少し年が下の、若いがわりと有能な人物だとルディスは認識している。
「どうした?」
 彼の、周りから浮いている様子に思わずルディスも真顔になった。
「私は・・・ トリナに会って言いたい事があるのです。あの時の言葉を私はまだ納得してはいません。」
 城の者で知らない者はいないほど有名な話。
 トリナがリア姫に付いていくからという理由で婚約を破棄してしまった、彼がその婚約者だ。
 その事でトリナを責める者もいたが、彼女の姫君に対する忠誠心を知る多くの者は 皆納得してしまった。
「元々そういうつもりだったのなら どうして私と婚約したのか・・・ 理由をまだ聞いてはいないのです。」
「そう か・・・」
 彼の深刻そうな表情からしても 他の者とは明らかに理由が違う。
 こういう話なら早い方が良いだろうし。
「よし、今回はウィルに決定だな。」
 その決定は理由が理由だけに誰も反対しなかった。



「トリナ!」
 ルディスから届いた手紙を読んで直ぐ リアは彼女を呼んだ。
「姫様、何のご用ですか?」
 のんびりしているトリナを急かすように、リアはその手紙を彼女に突き出してその問題の文を見せる。
「大変よ。ウィルが今回お兄様の従者としてここに同行するんですって。」
「!!?」
 それを聞いた途端トリナの表情が変わった。明らかに動揺している。
「彼、貴女に話があるみたい。」
 ルディスも気を利かせたのだろう、手紙には彼が同行する理由までちゃんと書いてあった。
「何を今さら・・・ 私は話す事なんてないのに・・・」
 吐き捨てるように呟く。
 彼女の気持ちもわかるがウィルが言いたい気持ちもリアにはよくわかった。
 どちらの味方をするというわけでもないが、リアには2人とも放っとく事はできない。
 とにかく説得を試みてみる。
「そんな事言っても彼にはあるのよきっと。」
「どうせ別れた理由が納得いかないって事ですよ。けれど何を言っても私の意思は変わらないと言ったのですよ?」
 トリナの彼に対する反応は冷ややかだ。
 この件に関する事の一部始終を知っているリアはどう言ったら良いものか困り果ててしまった。
 トリナは彼を愛してはいない。けれど彼は彼女をとても大切に想っているのだ。
 どちらの言い分も間違っていない。
 ただ、お互いの気持ちがすれ違っているだけ・・・
「・・・けど だからって避けられないでしょう? この際最後まで話しなさい、ね?」
 それを聞いて渋々ながらもやっとトリナは会う事を承諾した。


 ---------


 ルディスはリアに会いに来ただけだったので、彼女の部屋にはトリナとウィルを残して他は外に出た。
 一応保険にティーナと、本人の希望でサーズを控えに残して。
 他の女官たちには休憩と伝え、リアとルディス、そしてシウスの3人は中庭の噴水そばで立ち止まった。
 噴水の1度上まで登った水は放射状に降りてきて、それは薄い膜のような壁を作って下の池に落ちる。
 弾かれる水飛沫は宝石が輝いているように見えた。


「―――心配?」
 ルディスが尋ねてきたのに リアは頷くとも傾げるとも言えない角度で彼を見返す。
「・・・少し。彼の言い分も解りますもの。」

 あの時、トリナは絶対ついて来ないと思っていた。
 忘れたと思っていた。彼を愛していると信じて疑わなかった。
 誰が見ても羨むくらい仲が良いように見えていたから。
 けれど突然別れてついて行くと言い出して。
 止めようと説得したけど、あまり強く言えなかったのは私も心細かったから。
 トリナに甘えてしまったのよね。
 ・・・ウィルが納得いかないのも解る。
 やっと望みが叶って幸せの絶頂に居たのに 急に谷底に突き落とされたようなものだもの。

「円満に解決するとは思いませんけど、これ以上彼を傷付けて欲しくないですわ・・・」
 あの子はキツイ一言を平気で言うから・・・
「お前が心配なのはそっちか。」
 心配なのはトリナじゃないんかい と小さくツッコミを入れた。
 当然リアには聞こえていない程度だったが。

「でも・・・ どうしてトリナは婚約なんかしたのかな? 強制じゃなかったって言ってたよね?」
 それは・・・ と言いかけて リアは1度ルディスの方を見、すぐに視線を元に戻す。
「――― トリナは叶わない恋をしていました。その想いを忘れさせて欲しくてウィルを選んだんです。」
 私と違う、彼女は最初から諦めていた。
 貫き通して今のようになった私と反対、気持ちを忘れようとずっと努めていた。
「彼は優しかったけれど・・・彼女も頑張ったけれど・・・・・・」
 誰もが疑わないほどの関係に"見せる"ことは出来た。
 ウィルさえ信じるほどトリナは努力して、そしてトリナもそうなる事を望んでいた。
 けれど・・・
「・・・ダメだったんだ。」
 シウスの言葉にリアは頷く。
「それほど、彼の存在はトリナにとって大きかったんです。」
 それを知っているのは私だけ、他は誰も知らない。トリナも誰にも言っていない。
 だから私はトリナの気持ちもよくわかる。
 彼女は逃げたかった。気持ちを伝える事も出来ず傍に居る事から。
 そしてこれ以上は耐えられなかった。一生嘘を貫き通していく事に。
 彼女の方も限界だったのだ。
「ウィルでも敵わなかった・・・ それ程彼女の想いは深かったみたいですわ。」
 噴水に手を差し出してその水を受け止める。
 そこの下だけ水が割れて奥が見えた。
「―――抑えきれない想いはこの水のようにすぐに溢れてしまう・・・」
 トリナにもっと余裕のある心があったなら、ウィルに頼ろうとも思わなかったかもしれない。
 すぐに忘れられたなら、彼を傷つける事にはならなかった。

「・・・"叶わない恋"って決めつけるのって変じゃないか? 相手は結婚でもしてたのか?」
 と、これはルディス。
 それを聞いてリアの表情が少し怖いものに変わる。
「お兄様のような鈍い人には教えませんっ。」
 そう言って つんとそっぽを向いた。
「何だよそれわっ!?」
 他の人に聞かれるならともかく お兄様にそれを言われるのは気に食わない。
 無茶な話だけど、どうしてもそれだけは。
「えっと・・・リア、俺も聞きたいんだけど。ダメ、かな・・・?」
 宥めるように反対に居たシウスが尋ねる。
「シウス様には教えますわ。お兄様が帰った後で。」
「だから 急に何なんだっ!」
「ご自分でお考えになって下さい。」
 リアの態度は変わらなかった。



「・・・どうしてご自分も残ると仰ったの?」
 トリナたちから視線を外さずに ティーナが後ろのサーズに聞いた。
 彼は外を見ていた目をティーナに移す。
「貴女は1人で止められると思うのですか?」
「思いません。」
 逆質問にきっぱり言って、彼女は質問を変えた。
 彼は一筋縄ではいかない相手だ。きっと自分が言いたい事も解っているはず。
「―――サーズ様は手に入れたい物は力尽くで手に入れるタイプでしょう?」
 質問というより、これはもうすでに断定されている。
 サーズは苦笑いして彼女の横顔を見た。
「そうですね、欲しい物はどんな手を使ってもこの手にしますよ。」
 それで手に入らなかった物はまだ無い。全ては思い通りに、願いも夢も現実に。
 私は目的のためには手段を選ばない。
 同じ方法で王子の事も今まで守ってきたのだ。
「今回も、そうやって手に入れるつもりですか?」
 視線の先の2人は動かない。
 何を話しているのかはこちらまで聞こえない。
「人の心すら自分の意のままに操ろうとなさるのですか?」
「・・・人聞きの悪い言い方は止めて下さい。私は振り向かせるのに労力を惜しまないだけです。」
 本心のわからない笑みだ。見なくてもティーナには彼がどんな表情でいるのか分かる。
 やはりこの人は侮れない。
 だてに殿下の側近を務めているわけではない。
「相手はルディス殿下ですよ。それでもその自信は健在ですか?」
 ティーナは彼らが来る前日にリアの口から全てを聞いていた。
 今日ここに残る役を選んだのもそれが理由だ。
「・・・相手が誰であろうと私には関係ありません。関係があるのは彼女が私のものになるか否かですよ。」
 フフフと不敵に笑う彼はすでに何か企んでいるようだ。
「・・・頑張ってくださいね。協力はしませんから・・・・・・」
 トリナもすごい人に好かれちゃったわね・・・
 同情はするがこの人には関わりたくはないと思った。
「要りませんよ。ただ邪魔しないで下さいね。」
「お願いされてもしませんよ・・・」
 何されるかわかったものじゃない。
 この人の怖さは底知れないものがある。笑顔に隠された奥に何か見える。
 彼は確実に暗い部分を知っている。瞳を見ればそれが分かるわ。
 だからよけいに関わりあう気にはなれなかった。


 ---------


 開けられた窓から陽射しが差し込む。
 緑の香りを乗せたやや暖かめの風が2人の頬を掠める。
 窓際に立った2人は 先程から全く進まない会話を繰り返していた。

「何度言われようが私の気持ちは変わりません。」
 会ってからずっと、トリナはコレの一点張り。
 だけどウィルの方も負けていない。
「どうしてです!? 私は、貴女の為に今まで努力してきたのです。貴女に相応しくなりたくてずっと・・・っ!」
 それだけ彼にはトリナが必要で、想いも彼女が思う以上に強かった。
 けれどトリナも引くわけにはいかず、どちらも頑固なので言葉は永遠に続くループのようだ。
「共に国へ帰りましょう?」
「ですから 私にその気はありません。」
 このままでは埒があかない。
 深くため息をついた後、ウィルは言い方を変えた。
「―――ではどうして嫌なのか理由を教えて下さい。私に非があるのなら今ここではっきりと。」
 気を落ち着けて、ゆっくりとした口調で。
 真っ直ぐな視線で見られたトリナは、居た堪れなくなって目を逸らした。
 彼に非など無い。悪いのは私で いつまで経っても引きずっている私の気持ちがいけないのだから。
「私は・・・ 貴方を愛せなかった・・・・・・ だから 離れたの・・・」
 気持ちは思い通りにならない。たとえそれが自分自身のものであっても。
「では・・・」
 絞り出すように言った彼の言葉にトリナははっとした。
 苦痛を帯びた表情が彼女の胸に深く刺さる。
「何故・・・ 私と婚約などしたのですか・・・っ 嫌なら最初から・・・!」
 こんな事になるなら初めから期待を持たせるような事を言わないで欲しかった。
 あの時貴女が断っていたら こんな思いはしなくて済んだのに!
「違いますっ!」
 大きく首を振ってトリナが叫ぶ。
「嫌じゃなかった! 貴方なら愛せるかもしれないと思ったからっ!」
 貴方なら忘れさせてくれると思ったから・・・
「それに ルディス殿下が貴方なら幸せになれると―――・・・」
 元々見ているだけの恋だったから。何も望んでいなかったけれど。
 彼が認めた人なら良いと思えたのも本当。
 でも・・・
「でも、貴方の優しさ触れながら、それでもあの人を忘れられなかった私が悪いんです・・・」
 両手で顔を覆って小さく肩を震えさせながらごめんなさいと何度も呟く。
 ウィルがその片方の腕を掴んだ。
「今はそれでも構いません。待っていますから、だからまた戻ってやり直しましょう?」
 この機会を逃せばもう彼女が戻ってくるどころか 次は会えない気がして。
 今じゃないと、この時を逃せばもう不可能だと感じた。
「ティリィ、貴女が居れば私はもっと頑張れる。」
 貴女がそばで笑っていてくれれば。貴女の笑顔が力の源なのだから。
 トリナの心が少し揺らいだ。
「・・・っ でもやっぱりダメよ・・・・・・」
「何故?」
「このままいけば貴方はいずれあの人に近くなる・・・忘れたくて、見たくなくて此処に来たのに・・・」
 その時トリナが誰が好きか気がついた。
 でもそれでも自分はトリナを失いたくはない。
「だったら2人で遠くに行こう? ティリィ。私は君さえ居ればいいから!」
「イル・・・」
 ここまで愛されていて、応えない私は酷い人間だと思う。
 それに 今度こそ忘れられるかもしれない・・・


「あ、思いっきりキモチ揺れてる・・・」
 ティーナがぼそりと呟いたと同時に自分の後ろの影が動いた。
「え??」
 サーズは唖然としている彼女の横を通り過ぎて中に入っていく。


「ハイ そこまで。」
 サーズは突然現れると2人の腕を掴んでやんわり引き離した。
「え?」
「は??」
 いきなり緊張感を失くされて、2人とも気の抜けた顔で彼を見る。
 それを笑顔で受け流してサーズは手を離した。
「感情的になっていては正しい答えは出てきませんよ。落ち着きなさい。」
「―――え、と? 貴方は?」
 ウィルがぼーっとした頭で尋ねる。
 どうやら我を忘れるほどお互い熱くなっていたようだ。
「私の名はサーズ、シウス様の側近兼教育係です。今はアナタ方の仲介役ですけど。」
 絶対的強制力を持った彼の笑顔。
 それで彼がそこに居るのは必然になり、同時にスッと頭が冴えてくる。
 冷静さを取り戻したトリナは、ウィルの方に向き直って1度目を閉じた。
 風が目の前を通り抜けるのを感じる。
「イル・・・ やっぱり私、戻れないわ。」
 目を開くと、彼は予想通りの驚いた表情をしていた。
「どう、して?」
「―――私は貴方をダメにする・・・ さっきの言葉を聞いて思ったの。有能な貴方を私という存在が縛っている。
 ・・・私の為に今の自分を捨てるような人になってはいけないわ。」
 固まったまま彼は動かない。
「何時か忘れられるかもしれないけど、その前に貴方がダメになってしまいそうだから。」
 2人とも気づかなかったけれど、サーズが穏やかに微笑んだ。
 彼の登場で明らかに流れは変わっている。
「私はそんな事 望まないわ。できれば私を忘れて殿下の為に尽くして欲しいと思うの。」
「ティリィ・・・」

 そうだね・・・

 寂しそうに微笑ってウィルは頷いた。




←戻るにおうち帰るに次行くに→