Tear Spring

第14幕「私は 思い出さなければいけない。」
(第35回〜第36回)




 ―――・・・のつ・・・・・・せな・・・・・・

「―――・・・?」
 まだ薄暗い部屋の中で、リアは1人目をぱちくりさせる。
 それが夢だという事を認識するまでに 少し時間がかかった。
「・・・な、に? 今の、夢・・・・・・」
 まだ少し夢の感覚から抜け出せないでいる。
 それは知っているようで知らないような不思議な感覚。
 白く靄がかった世界の中に居て、確か隣にリークが居たような気がする。
 彼が何かを言っていたようだけれど・・・

 ただの夢だからと気にするものでもないはずだが、その時は何故か気になって仕方が無かった。
「・・・何か大切な事を忘れた時みたい・・・・・・」
 けれどいくら思い出そうとしてもそれは夢、その時は思いだせなかった。
 そして それがとても重要な事だったと気付くのはもう少し後のこと―――・・・



 じりじりとした日差しが廊下に敷かれた絨毯にもその明るさを落とす。
 そこを僅かに避けるようにして2人は歩いていた。
「このような天気の良い日には外に出るのが1番ですわね。」
 すっかり元に戻ったトリナがリアに微笑みかけて言う。
「そうね。・・・ちょっと暑いけれど。」
「中庭の木陰はきっと涼しいですわ。」
 肩を竦めて言ったリアの応えにクスリと再びトリナは笑った。

 季節はもう夏本番だ。
 ドレスの生地も色も薄めのものになって、調度品も全て夏の様に変わっている。
 リアにとってはシーダーで過ごす初めての夏。
 彼が話してくれた「眠れない暑さ」というのがどういうものなのかも興味がある。
 リアの国は冬は足先まで凍る寒さではあるけれど、夏はそんなに過ごし難い所ではない。
 どんな夏なのか、暑さを知らない彼女はのんきに期待をしていた。


「―――? 何やら中庭の方が騒がしいですね。」
 トリナの言葉に応じてそちらに注意をやれば、女性たちの高い声が聞こえてくる。
 それも複数、そしてかなり声は大きい。
 初めは何を言っているのか解らなかったが、近づいてみればその正体はすぐに理解る事が出来た。

「どうして私の所に来てくださいませんの!?」
「あの姫のどこがよろしいのですか?」
 シウスが側室たちに捕まって騒がれている。と いうより、これは詰め寄られているの類だろう。
 表情は非常に困り果て、何をどう返答したらいいものか迷っている様子だ。
「まぁ なんて品の無い方々かしら・・・っ」
 憤慨するトリナに苦笑いを向けた後、リアは遠くを見るような瞳でシウスたちの方を見た。
「皆様 必死なのよ・・・」
 何もしなくても彼と話せる私は彼女たちにしてみれば許せないものでしょうね。
 リークと話していた美しい女性たちの姿をそれに重ねる。

 ――たくさんの女性たちに囲まれて困った表情をしていた彼。
 逃げ場を探すようにふと上げた彼の視線と目が合って・・・

「!」
 びくんとして彼女は反射的に体ごと回れ右をする。

 ・・・ビックリした―――・・・・・・

 本当に目が合ってしまった。視線を上げた彼と自分の目。
 その時リークと彼の顔が一瞬ダブって見えた。
 あまりにも2人の表情が似ていたから。


 ――― たちの・・・は きっと・・・・・・

 リークの声が夢よりはっきりとした声で過ぎった。
「っ 戻りましょう!」
「・・・はい?」
 言うや否や 事態を飲み込めずにいたトリナも置いて、リアはもと来た道を早足で戻っていく。
「姫様!?」
 けれどトリナの言葉は耳に届かない。



「お帰りなさいませ。随分とお早いお戻りでしたね。」
 たまたま入り口付近に居たシーナが言う。
 けれどその言葉も聞こえていない様子で、リアは収まらない動悸を胸を抑えて落ち着けようと必死になっていた。
「姫様っ 一体 急にどうなさったのですか?」
 少し遅れて入ってきたトリナが扉を閉めながら尋ねる。
 まだ動悸が収まらないリアはそれにも応えなかった。

 ドンッ!

『!?』
 今にも扉を叩き割らんばかりの強さと振動にその場の全員がビックリする。
「な、何?」
 誰が来たかわからない彼女たちは奇異な目で扉の方を見た。
 ただリアだけは誰なのかわかっている。

 きゃあ〜〜〜〜っ!

 来た! と心で叫んでリアは窓際に急いで逃げた。
 入ってきた途端に言われるセリフはだいたい想像が付く。

「リ〜ア〜〜〜っ!?」
 トリナが開けたと同時に入ってきたシウスはズカズカと彼女の所まで一直線。
 彼女を壁に背が付くくらいまでに追い詰める。
「この前といい今回といい、どうしてそう逃げるかな!?」
 両腕で逃げないように通せんぼして、答えるまで話さないと目で言った。
 目の前で逃げられたらどうしても気になるじゃないか。
「今回は違います〜っ」
「違うって何が!?」
 目の前で逃げてる事自体には彼にとって変わりは無い。
「えーと・・・あの・・・・・・」
 早くこの場を逃げ出したい。
 けれどシウスの顔は彼の瞳に自分の顔が映るほど間近で どうやっても避けられない。
「自分が恥ずかしくなったんです〜〜っ・・・」
 言ったら怒られそうで出来ればその先は言いたくないんだけど・・・
 けれどそれでは離れてくれないだろうと 彼の目から推測できる。
 迷ってしばらく黙っていたら、シウスは目でトリナたちにしばらく出ていてもらうよう合図をした。

「・・・リークがらみの事だろう?」
 居なくなるのを確認してからシウスはリアの方に向き直る。
「最近彼の話をしなくなったし 変だとは思ってたんだ。」
「・・・そ、それはっ、だって シウス様は聞いても面白くないと思ったから・・・」
 馬鹿なくらいに長い惚気話を毎回聞かされて嫌な気分にさせているかも、と1度意識してからは、シウスが
 振らない限り彼の話をしないようにしていた。
 彼女とて極力悟られないようにはしていたつもりだ。
 けれどそれが長く続けばシウスがそれに気付かないはずも無い。
「―――何を今さら。」

 グサッ

 そのたった一言で シウスはリアの言葉をすっぱりと却下した。
 そしてリアにその言葉は深く突き刺さる。

 私ってそんなに・・・・・

 "今さら"と言われるほど話していた事実にぐらりときた。
 ものすごく痛い。身体ではなく、心が。
 私はそんなに嫌な思いをさせ続けていたのだろうかと。
 しかしそれは間違った考え。シウスの思いはむしろ正反対だったのだから。

「リアは気付いてなかったんだ。」
 そう言って 彼は少し残念そうに苦笑いを浮かべた。
「わざと話を振ってる時点で進んで知ろうとしてるとわかってもらいたかったな。」
 ・・・それは彼女の幸せそうな笑顔が見れるから。
 自分の力ではまだ無理だけれど、いつでも見ていたいと思えるその表情を見る事が出来るから。
 けれど 悔しいからそこは黙っておく。

 シウスは腕の力を緩めて彼女の肩に置き、こつんとおでこをつき合わせた。
「・・・ほら、正直に言いなさい。」
 これ以上隠す必要と理由は無い。
「〜〜〜〜〜ハイ・・・・・・」

 言った後、彼女の顔が赤くて熱かったのは 内容のせいなのか彼の顔が近くにあり過ぎたせいなのか―――・・・



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 夢の声が大きくなる。
 まだはっきりとは聞こえないけれど確実に。
 同じ場面の繰り返し、同じ言葉の繰り返し、それはまるで抜けられない迷路のように・・・

「コレで13日目・・・」
 起き上がる気も起きずに リアは呆れを含んだため息をついた。
 最近は辺りを包んでいた靄も晴れてきて、自分たちが何処に居るのかもわかってくる。
 そして気が付いた。それが夢だけの事ではなく昔の記憶だという事も。
 忘れてしまった 忘れてはならない記憶。
 あの秘密の場所でリークは何を伝えたのだろう。
 彼の言葉はこれから起こる何かを暗示している気がしてならない。
 それを彼は警告しているのかもしれない。

 でも・・・ 私はどうして忘れてしまっているのかしら・・・



「今日はお1人?」
 投げかけられた質問に応えて、リアは立ち止まると声の方を振り返った。
 別にここは気付かないフリをしてやり過ごす事も出来たのだが、
 今回は相手が相手だけに僅かながらに反応してしまったのだ。
 ここで応えなければそれは「フリ」だとバレる。
「―――ええ、バーベナ姫。」
 目に飛び込んできたのは、相変わらず露出度の高い 鮮やかな色彩の服。
 彼女は2人の女官を後ろに従え、悠然とした笑みを向けてリアの傍まで来た。
 2人はどうしても目線が合わないので バーベナは少し離れた所で止まる。
 親切心だか嫌味だかは微妙だが、とりあえずリアはそれに甘える事にした。
 だからそれについては何も触れない。
「皆、サーズに頼まれて書庫へ行ってしまいましたから。」
 無表情に近い表情で言って、リアは相手の目を見て次の言葉を待った。
「―――――・・・」
 バーベナは一瞬意外そうな表情をしてまた元の笑みに戻す。
 その違和感を確かめるためにもう1度、今度は別の言葉をバーベナは探した。
「・・・姫君ともあろう御方が独りで外を出歩くのはあまり感心致しませんね。」
 それは確かに笑顔ではある。
 けれどリアにはその言葉に鋭い刺があるように感じた。
 いや、"感じ"ではなく確実に。
 しかしそれに気付かないフリをして、リアは笑顔で受け流した。
「仕方ありませんわ。頼んだのがサーズなら私は手伝うわけにも参りませんし。」
「・・・・・・」
 その対応でバーベナの推測が確信に変わる。
「それに、シウス様にお借りした本は全て読み終えてしまったんですもの。」
 笑顔で言った彼女にはもちろん悪気も優越感もない。
 これがもしウィスタリアだったら 後ろの女官たちのように今にも爆発しそうな顔になったかもしれない。
 けれどバーベナの態度は違っていた。何事も無かったかのように平然としている。
 大した事ではないという余裕も理由の1つではあったけれど、むしろ別の、
 さっき感じた確信の方が彼女には重要だったから。
「・・・まぁ 私にとってはどうでもよろしいのですけれど。姫君を試したかっただけですから。」

 "試す"・・・?

 笑顔は依然張り付いたままだったけれど、リアの表情が微かに引きつった。
 どうして私が彼女に試されなければならないの?
「―――姫君は私と殿下では態度が違いますのね。」
「え? それはどういう・・・」
 予想もしなかった言葉に、本当に困惑してリアは思わず尋ねた。
 するとバーベナはにっこりと、さっきよりさらに目を細めて微笑む。
「殿下とお話になる時はもっと素直に反応なさるもの。」
「・・・素直・・・・・・」
 この前は別の事で頭がいっぱいで気がつかなかったけれど、ティーナの言う通りだったかもしれない。
 リアの張り付いた笑顔が完全に固まった。

 ひょっとしなくても子供扱い・・・?

 彼女が1番嫌いな扱いだ。しかも今回の相手は同等であるはずの同じ側室。
 けれどここで感情を露にすれば、それこそ彼女の言う通り"子供"になってしまう。
「貴女から見れば私もシウス様も子供に見えるのでしょうね。―――お姉様?」
 敢えてここは彼女の言う事を認める。
 これを下手に否定すると逆に子供っぽく見られるからだ。
 ただここで過ちが1つ。最後の言葉は無意識で出てしまったものとはいえ、今言うべきではなかった。
「・・・殿下は 貴女にはそこまでお話になるのね。」
 バーベナの笑みが突然消える。
「え? ええ・・・」
 といっても この前聞いたばかりだけれど。

 
「殿下の寵など要らないと言った貴女が・・・貴女がどうしてそこまで心を許されるのかしら・・・?」
 静かに、抑揚のない声で彼女は言葉を吐く。
 急に変わってしまったバーベナの様子を感じて リアの笑顔も引いていった。
 怒りとも似ているがこの静けさは何処か違う。抑えようとしても抑えきれない感情。
 これは―――・・・ 憎悪。
「あの方を愛してもいない貴女が何故愛されるの?」
「―――!」
 背中が冷えた。
 向けられた瞳に見える想いは他の誰よりも強く深く、そして激しい。
 この人は本当に彼を愛していて、私を憎んでいる。
「愛され続ける貴女にはお解りないでしょう・・・ 私の返されない愛の気持ちなど・・・っ」
「っ それは・・・!」
 違うと言いそうになったのを、寸でのところで思い留まる。

 私だってずっと片思いしてた! 焦がれる思いでいつも彼を見てた!

 だけどそれは言ってはいけない事。
 相手は心許せる友達ではなく、自分を敵だと思っている人なのだから。

「・・・この想いは貴女に負けませんわ。
 どんなに貴女が寵を受けていようとも 愛した時間も深さも私が1番だという自信はありますから。」
 そう、私は他の姫君たちとは違う。
 王妃の座も何もかも関係なく、あの方を愛しているからここに居る。
 あの方の役に立ちたくて、周りの反対も押し切って あの方に嫌われるのも覚悟でここに来た。
「―――だから国のために嫁いできただけの貴女には決して負けたくないのですわ。」
「・・・・・・」
 何も言い返せなかった。
 だって全ては事実。私はバーベナ姫には敵わない。

 だけどどうしてこんなに悔しい気持ちになるの?
 どうしてこんなに彼女の言葉が痛いのかしら・・・?

「・・・先に失礼しますわ。」
 固まって動けないリアの横を バーベナはスッと通り抜けて行った。


 我ながら大人気無いわね・・・

 クスリと自嘲するように笑って、バーベナはさっきの彼女の困惑した表情を思い出す。
 だけど どうしても姫君が許せなかった。
 少し前まで私が居た所で彼女は楽しそうに笑っていたから。
 私が失くした物、全てをあの姫が奪ってしまったから。
「少し前まであの場所は私のものだった・・・」

 その呟きは 誰にも聞こえない―――・・・




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