Tear Spring

第15幕「他の誰でもなく貴女にだけは・・・」
(第37回〜第38回)




「・・・何があったの・・・・・・?」
 本人にでは無くシウスは傍に来たトリナに小声で問いかける。
「さ、さあ? それが私にも・・・」
 同じ気持ちを持った2人は困った表情をして首を傾げ、ちらりとリアの方を見た。
 彼女の様子が変なのは誰から見ても明らかだ。
 けれどそれは迷いや悩みとは違っていて、何処か自信を失くしてしまったような。
 彼女の周りだけ異様に暗く どんよりとした雨雲が漂っているようだった。
 シウスの問いかけにも聞いているのか疑わしい生返事しか返さない。
 そして時折ビクッとするほど深いため息が出た。
 その数はもう数える気にもならない。
 今のシウスとトリナの会話にも全く気付いた様子はなく、心は何処か遠くに飛んでいってしまっている。

「いつからだっけ・・・?」
 冷め切った紅茶をスプーンで意味も無くかき混ぜているのを呆れ顔で見ながらシウスは尋ねた。
「えっと、確か――― 私共がサーズ様に頼まれてお手伝いに行った日だったと・・・」
 朝は間違いなく普通通りのご様子だったし、姫様を独りにさせてしまったのはその時だけだったはずだから。
 思えばあの日の夜から食事の量も格段に減った。
 ・・・元々多くは食べない体質なだけに、今は食べてるのか食べてないのか判断がつき難いほどだ。
「その日何かあったのは確かなんだな・・・」
「でも 尋ねても私にすら答えてくれないんです。」
 リアのが伝染ったようにトリナも深いため息をついた。
「どうしたものかな・・・」
 とりあえず今日はもう話にならないようだ。
 もうすぐ父王の元に参上しなければならない時間でもあるし。
「そろそろ帰る時間だ。明日は夜に来るよ。」
 そう言って彼は席を立った。
 けれどリアはそれにも全く反応しない。
「・・・――――。」
 しばらく待ってみたけれど 返事はいつまで経っても返ってこなかった。

 これは相当重症なようだ・・・

 全く・・・ と小さく呟いて彼は少し多めに息を吸う。
「――――リーアっ!」
「えっ あっ はいっ!?」
 寝起きのような間の抜けた返事をして リアは慌てて顔を上げた。
 目の前には立って呆れた表情を向けているシウスの姿がある。
「・・・明日は夜にしか来れないから。」
「あ、はい。」
 さすがにちょっと声は怒っているようだった。
 話の内容も覚えていないのだから仕方ないとリアは反省する。
 コツンと軽くおでこを小突いた。

 これくらいで落ち込んで心配かけるなんて・・・ 気をつけないと。

「―――・・・ところで 彼女たちは何をあんなにはしゃいでいるのかな?」
「? 何なんでしょうね? ああいう時のトリナたちは私にもよく・・・」
 後ろで5人がきゃあきゃあ喜んでいるのはまぁ置いておく事にした。
「まぁいいや。・・・そうだ、リア。」
 思い出したように去り際に振り向く。
「話したくないならそれで良いけど トリナにはあまり心配かけないようにね。」
 そして追ってきた彼女の耳元で 元々貴女は後宮に合う性格じゃないから。と付け加えるように小さい声で言った。
「!!」
 かぁっとリアの顔が赤くなる。
 落ち込んでた原因も実は見抜かれているような気がする。
「す、スミマセン・・・」
 その顔が結構可愛かったのでシウスは微かに笑った。
 そして軽く触れる程度に額にキスをする。
「じゃあ また明日。」
 


 今は1番影が短い時間。
 熱い日差しは中庭の地面を照り返して 景色全体を白くしている。
「かなり落ち込んでたな〜・・・」
 あんなに暗い表情をしている彼女は初めて見た。
 誰かに何か言われたのは確かなんだろうけど。
「しかし リアをあれだけ落ち込ませる人間なんか居たっけ・・・?」
 大抵の側室たちはリアの知識と口上に付いていけなくて敬遠していたはず。
 本人に自覚は無くても彼女は十分後宮でやっていける実力はある。
 そんな彼女に誰が・・・

 あ・・・・・・

 思い当たる所があって シウスは頭をガリガリ掻いた。
「そういや1人だけ居たな・・・」
 自他共に認める後宮一の権力者。
「バーベナか・・・」

「こんな廊下の真ん中で名前を呼んでくださるなんて 至福の喜びですわね。」
「!?」
 がばっと振り向くと本人がそこに立っていた。
 とても嫌なタイミングだ。
「・・・好きで呼んだわけじゃない。」
「あら 手厳しい。」
 ものすごく嫌そうな表情で言ったのに バーベナは嬉しそうに笑う。
 その表情で 何をしているわけでもないのに負けている気がしてかなり悔しかった。
「―――今日は独りか?」
「リア姫の真似をしてみたのですわ。1人だといろいろ考えられてなかなか良いものですわね。」

 やっぱりコイツかっ・・・

 彼女のせいで今日見れるはずだったリアの笑顔を見損ねたのだ。
 毎回それが楽しみで行くのだからちょっとした怒りくらいは湧いてくる。
「・・・全く人を落ち込ませるような事は控えて欲しいな。」
「?」
 最初は何を言われたのか解らなくてきょとんとした。
 けれどそれが理解できると、今度は反省の欠片もない表情であらあらと言って微笑む。
「私は自分の気持ちを素直に伝えただけですわ。図星を指されて落ち込むなんて姫君も子供ですわね。」
「お前・・・っ!」
 思わずかっとなるシウスだが、慣れているバーベナは動じなかった。
 そういう所は昔から変わっていない。
「けれど 元はと言えば殿下が悪いのです。」
 突然真面目な表情になって、バーベナは静かに言った。
 え? とシウスの表情に当惑の色が表れる。
「殿下の寵愛が無ければ姫君はこのような思いをせずに済んだのですから。」
「・・・っ」
 それにはぐっと言葉に詰まってしまった。
「姫君が大切なら離れるのが妥当では? 好きでもない方の為に耐えなければならない理由が彼女にありますか?」
 確かにバーベナが言っている事は正しい。
 自分が居なければリアは嫉妬されることも無く、ただ遠くに居る愛する者を想って過ごせばいいだけだ。
「・・・迷惑、だと?」
「姫君もそう思っているかもしれませんよ?」
「けれど、いつもリアは―――・・・」
 彼女はいつも笑顔で俺を出迎えてくれる。
 初めて会った日の夜以外、嫌だという素振りなんて微塵も見せた事は無かった。
 リアがいつも笑っていてくれるから 俺は何度も彼女の所へ行きたいと思えたんだ。
 けれど その思いはたった一言で覆される。
「・・・殿下、いつも笑顔の人が心までいつも笑っているとは限らないものですよ?」
 心配そうに見つめる彼女を見てシウスは愕然となった。
 リアの笑顔は心からのものじゃないかもしれない?
 本当は黙って耐えて、本当の心は泣いているのかもしれないのか・・・?
「リア・・・ ゴメン・・・・・・」
 頭を垂れ 拳を額に当てて浮かべる表情は、ショックからかとても苦しそうだ。
「殿下・・・ やはり離れた方が良いのでは? ―――殿下?」
 黙ってしまったシウスの顔を覗き込むように見る。
「・・・バーベナ・・・・・・」
 やっと聞こえるくらいの小さな声で呟いて、シウスはゆっくりと顔を上げた。


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 頬に伝わる机の硬くひんやりとした感触が今の熱い体温には気持ちが良い。
 シウスが帰ってしまった後、ここに座ったは良いものの リアは何もする気が起きなかった。
 机の上に転がした割れたブレスレットをぼんやりとした目で見ながら片手で遊ばせる。
「ねぇ リーク・・・ 今日シウス様に励まされちゃったの・・・」
 それは独り言のような小さな呟き。
 けれど彼女は本当に彼に話しかけているように、フフッと可笑しそうに笑った。
「変ね、たったあれだけのコトで心が随分軽くなったのよ。」
 言わずとも気付いてくれた事への安堵感。
 "私"というものを解ってくれていた事が嬉しくて。
 そして 最後のキスも・・・
 ほんの少し触れるくらいだったけれど 全然嫌じゃなかった。
 それどころかアレが沈んだ気持ちも全て持っていってくれたみたいで。
 今はもう彼女に言われた事もあまり気にならない。

 ・・・シウス様って最近急に大人びてらっしゃったわ。
 最初に会った時はお兄様と同い年だなんて信じられないくらいだったのに。
 今は一緒に居るととってもホッとするの。いらっしゃらないととても寂しい気持ちになるのよ。

 変なの・・・ この安心感は貴方と居る時と似てる―――・・・

「ホントに変・・・・・・」
 指で軽く弾いて離すと カシャンと音を立ててブレスレットは倒れた。



 ゆっくりと顔をあげたシウスはバーベナの方を見る。
 その顔が不意ににっこりと笑った。
「!?」
「―――残念だけど。それだけは出来ないよ。」
「え、え・・・?」
 不意打ちを喰らってしまったバーベナはさっきまでの勢いを殺がれて次の言葉を継げない。
 後宮に入ってからは初めての事、急に笑顔を見せられたので戸惑ってしまったのだ。
「離れる事、実は考えた事もあるけどね。私の方が耐えられないんだ。」
 会えない日、何度全て放り出して彼女の所ヘ行こうと思ったか。
 もう自分は彼女が居ないとダメになってしまった。それほど大切な存在。
「リアが居なくなるほど辛い事は無い。それくらい愛しい姫だから。」

 例えこの想いが叶わないと知っていても・・・

「で、ですがっ 殿下が傍に居る限り姫君はずっとあのような思いをする事になるのですよ!?」
「・・・そうだな。」
 けれどシウスはけろっとしている。
「でもまぁ リアもそれくらいも乗り越えられない器量の狭さではないだろうし。私もそう信じている。」
 大国を率いる一国の王相手に物怖じせず言い返し、諸国一と名高い兄と同等の政治判断力を持つ彼女。
 そんな彼女がただ美しさを競うだけしか考えない姫君たちに負けるはずが無い。
 ・・・バーベナは別として。
 けれど彼女もリアに比べれば世間知らずの普通の姫君だ。
「私としてはそんな心配も要らないほど守ってあげたいところだけれど、それだと彼女は満足してくれそうもないしね。」
 彼の笑顔の裏に何かが見える。
 いつの間にこんな表情ができるようになったのか、バーベナは自分たちがどれだけ長い間離れていたのかを知った。
「言っておくけど"私が傍に居たいから"私は彼女の所に通ってるって知ってる? それに関してリアの気持ちは無視されて
 いるのは解って欲しいものだけど。」
 "カレ"は私が知っている殿下と全然違う。
 突き放すような冷たい笑顔に耐えかねてバーベナは視線を逸らした。
「・・・それで他の側室が納得できるわけないでしょう・・・っ?」
「―――それは知ってる。」
 そう言って彼女の肩に手を置く。
「だけどね・・・」

 ギリッ

「っ 痛・・・ッ!」
 力任せにその置いた手に力を込めた。
 苦痛で彼女の表情は青くなり、耐えようと目をぎゅっと瞑る。
 それをシウスは変わらない笑顔で見下ろした。
「・・・あまり度が過ぎるなら私も承知しないよ。ここから追い出すくらい私には造作無い事なんだから。」
 ぞくりと背筋が凍る。
 肩が震え始めたのに気が付いて、彼は力を緩め 手を離した。
 その掴んでいた部分には赤い跡が残っている。
「―――私ももう昔とは違う。リアの為なら何だってするよ。彼女の為にならどんな残酷な事だってね。」
 その結果他の誰が傷付いても構わない。
 声が出せなくなっているバーベナにも優しい言葉をかける気にはならなかった。
「・・・今の私はこういう人間だ。これ以上君と話す時間は無い――― それじゃあね。」
 くるりと彼女に背を向ける。
 けれど彼女にはもう呼び止める事も出来なかった。



「わかってるわ・・・」
 独り残されたバーベナがポツリと漏らす。
 貴方の気持ちは貴方が思っている以上に分かっているつもり。

 彼女が初めて愛したヒトなのでしょう?
 彼女以外の女性を愛するつもりなど無いのでしょう?

 そんな事見ていれば分かる。
 貴方にとって、私は今も昔も姉のような存在。それ以上にはなり得ない。
 私はそんなものも分からない人間じゃない。
「だから貴方の幸せを願っているのよ・・・ 貴方には片思いなんて辛い思いはして欲しくないの・・・」
 私の想いは届かなくても 貴方が幸せになってくれれば私はそれでいいのに。
 それなのにどうして貴方の心を占めるのはあの姫君なのかしら。

 何故貴方は彼女を愛してしまったの?
 どうしてそんなに苦しい道を貴方は選んでしまったの?

「私なら貴方を想い続けられるのに そんな思いはさせないのに・・・」
 彼女より私の方がずっと彼の事を支えてあげられる。その自信もある。
 だって私は彼を愛する事ができる。
 私は何時だって彼の幸せを1番に願っているわ。
「・・・違う。私も自分の事しか考えていないわ。」
 これは私の願望。
 彼が私を愛してくれない事は解っているはずなのに。

 だけど こんなにも私は貴方が好きなのよ―――・・・




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