Tear Spring

第18幕「出来れば知らないままで・・・」
(第46回〜第47回)




 ―――― 私たちの罪は 決して消せないものです・・・

「!!」
 びくりとして リアはベッドから飛び起きた。
 外はまだ暗く、何一つ音はしていない。おそらく朝はまだ遠いのだろう。
「今、の・・・」
 微かに震えている手で口元をおさえる。
 確かに聞こえた。初めて、はっきりと。
 夢の中でループし続けていた言葉が、やっと。

「・・・私たちの犯したこの罪は、きっと いつか裁かれる時が来るでしょう。」
 次に紡がれるべき言葉を リークの声と合わせて呟く。

 思い出した。
 あれはあの花園でリークが言った言葉だったわ。
 意味がわからなくて私が首を傾げていたら、彼は驚いたような瞳で見返したの。
 そして複雑な表情で言ったのよね。
 "その方が良い"って・・・

「でも・・・ "罪"って何なの・・・?」
 お兄様も言っていた。
 あれから手紙で何度か尋ねてみたけれど、いつも「知らなくて良い」としか返って来なかった。
「思い出してはいけないのは何故・・・?」
 こんなに毎日夢を見ているのに。
 気にするなという方がムリな話だわ。
 お兄様は一体何を隠しているの? リークは何を話したの?
「・・・そして、」
 私が1番気になる事は。
「どうして私は忘れたの・・・?」
 罪になるほどそんな重要な事をどうして・・・?



「姫様ー?」
 歩いている途中 突然視界から消えた彼女を探して辺りを見回す。
 すぐに少し後ろの柱の影で膝をついているのを見つけた。
「・・・?」
 けれどどこか様子が変だ。
 それは柱に凭れるようにして咽ているようにも見える。
「姫様!?」
 慌ててトリナが駆け寄ると、リアは青褪めた顔を上げてひらひら手を振った。
「ごめん、ちょっと吐き気がして・・・」
「え、大丈夫ですか!? すぐお部屋に・・・!!」
 ただ事ではないと急いで誰かを呼んでこようとしたのを リアは腕を引いて止める。
「しばらくじっとしていれば平気だから。」
「で、ですが・・・!」
 そんな青い顔で言われても説得力に欠けるというもの。
 けれどそれを打ち消すように強い声でリアはトリナの言葉を遮った。
「大丈夫。だからここに居て。」


 しばらくして、上がっていた息が落ち着いてくると リアは深く息を吐いて整えた。
 顔にも元の赤みが戻ってきている。
「疲れているのかしらね・・・」
 実はこういう事は初めてではない。
 今まで外で起きた事は無かった為 トリナも驚いてしまっただけで。
 胸の不快感や吐き気のようなものはもう随分前から始まっていたものだ。
「慣れない気候のせいね・・・ たぶん。」
 石柱の陰になった部分は触れるとひんやりしている。
 頬をつけると少しだけ気分が良くなった。

「あの〜・・・姫様?」
 1つ 思い当たる事を思い出して、トリナは少々困ったような表情をした。
 どうして今まで気づかなかったのだろう。
「ん? なぁに?」
「姫様 最近味覚が変わられましたよね?」
「? ええ、そうね。それが何?」

 ・・・気づいてないし。

 多少言い難そうにトリナはコホンと咳払いをした。
「あのですね。・・・ソレ、"つわり"じゃないんですか?」
「え゛!!?」
「ここ数ヶ月遅れてらっしゃいますでしょう? 間違いないと思いますよ。」
 確信がある様子で言う彼女に、リアは戸惑いを隠せない。
「え、だって・・・・・・!」
 言おうとした言葉を直前で飲み込む。
 そういえばコレは私とシウス様以外 誰も知らない事だったわ。
「?」
「―――あ、なんでもないわ・・・」

 だって、そんなはず 無い。
 誰も知らない事だけれど・・・
 私はまだシウス様の「本当の」側室には―――・・・

「!!」
 目を見開いたと同時に 今度は先程とは別の意味でリアの血の気が引いていく。
「姫、様・・・?」
 トリナの声は今のリアの耳には届いていない。

 まさか・・・・・・!
 で、でも あれは夢のはずでしょう・・・!?

「―――様! ・・・姫様!」
「あっ・・・ な、何?」
 我に返るとすぐ近くにトリナの顔があった。
「どうなさったんですか?」
 急にお黙りになられて。
 そう聞く彼女に少しあたふたしながら 言葉を必死で探す。
「あ、うん。あ、あのね、一応お医者様に看てもらった方が良いと思うの。」
 上目遣いで少し控えめに言いながら彼女の表情を伺う。
「もし違っていたら・・・ 困るし・・・」
 どんな返答が返って来るのかは正直不安だった。
 そんな彼女の心中に気づかずに、トリナは意外に素直に納得の表情を返す。
「それもそうですね。それではそれまではここだけの話にしておきましょう。」
「・・・ありがとう」
 内心で胸を撫で下ろしながら リアは心配かけないようにと作った笑顔を見せた。



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 アレは夢では無かったの!?

 だって私は・・・ 何も覚えてないのに?
 だって ホントに何も・・・・・・



 頭に何か重い物がズシッと乗ったように重かった。
 泣きたくなるくらい鈍い痛みが 鐘の鳴るような音と共にやってくる。

 誰か 助けて・・・

 自分のせいではあるけれど、それにしても辛すぎる。
「・・・・・・?」
 その中で、ひやりと冷たい額がとても気持ち良く感じた。
 生暖かくなっては冷たいものに変わって、変わって、その繰り返し。
 それの何度目かに目がやっと開いた。


「―――目を覚まされたのですね。」
 まだぼやけた視界の端で影が動く。
 分厚い本が閉じる音がして、彼は大きな手を布の代わりに額に当てた。
「リーク・・・」
「まだ 痛いですか?」
「・・・かなり・・・・・・」
 擦れた声で言うと、彼は苦笑いして手を離す。
 額にはまた新しい 冷たく濡らされた布が置かれた。
「・・・トリナたちは?」
 よく考えなくても リークが私の世話をしてるのはおかしい。
 本を持ち込んでいるあたり、それはかなり長い間この部屋に居たという事だから。
「皆 姫君と同じく宿酔いで寝込んでますよ。―――毎年の事ですが。」
 笑いを含んだ声でリークは答えた。

 年の行事の中で最も盛り上がるイベント、"招春祭"。
 長い冬を終えて春の訪れを祝うこの祭りは 王から民へのプレゼントでもある。
 その日だけは何もかもがお休み。それは誰であろうと例外は無い。だから皆が楽しみにしているのだ。
 堅苦しいものも無く、ただ皆で騒ぐだけのお祭。
 城下の大通りは人で溢れ返り、踊りを披露する者もいれば 面白い芸を見せる者もいる。
 何を買うにもお金は要らない。
 そこには"お忍び"等 意味も無く、誰がいても誰も気にしない。
 もちろん城の中も例外ではなく、誰もが入り混じって酒を飲み交わす。
 それが王だろうが使用人だろうがそこでは関係ない。
 何というか、とても豪快なお祭りなのだ。
 ただコレで問題なのは、ハメを外しすぎて翌日も仕事にならないという事なのだが。

「・・・次の日平気な顔してるのは リークとお兄様くらいよ。」
 夜更かしし過ぎて疲れた子どもたちは朝起きられず、飲み過ぎた大人たちは1日頭痛と闘う。
 それがまた翌日になれば 全て元通りに戻るのだから不思議なものだ。
「姫君もいつもは平気そうにしてらっしゃったじゃないですか。」
「・・・今年はちょっとノリ過ぎたみたいね。まさか自分がこんな事になるなんて・・・・・・」
 途中で危ないな、とは思ったんだけど。
 そこでやめるには少し理性が足りなかった。
 普段より酔いが回るのが早かったのも原因だとは思うけれど。
 それらの元々の発端は きっと直前に聞いた話のせい・・・

 ――― 向こうは乗り気らしいぞ、お前との縁談。

 お兄様とリークの会話。思いがけず聞こえてしまった言葉。
 その彼の返事は聞けなかった。
 聞きたくなくて、そのまま走り去ってしまったから。

「あ、縁談はきちんとお断りしておきましたから。」
 突然 思い出したようにリークが言った。
「え!?」
 勢いで飛び上がって、
「う゛っ・・・」
 襲ってきた頭痛でクラリとしたのでまた元に戻る。
 "あーあ・・・" と半ば呆れ顔でリークは落ちた布を手に取った。
「―――私はその方を愛せませんから。そんな男と結婚しても不幸になるだけです。」
 彼の方を見ると、彼は私の瞳を見て微笑った。
「少なくとも王子がお妃を迎えるまではそのつもりは無い。と、王にもお伝えしました。」
「・・・もし迎えたら?」
 試すような質問を投げかける。
 その時の彼の表情は 変わらず優しかった。
「その時は また別の理由でも探しましょう。」
 彼が言いたい事は分かる。
 分かるから、嬉しくてならなかった。
「私は誰とも結婚しません。・・・私の本当の願いが叶わないのなら、私はこの誓いを貫きましょう。」
 "貴女だけを愛し続けます"
 声には出せないけれど、彼が言いたい事は痛いほどに伝わる。
「ありがとう・・・」
 頭痛は変わらず痛いけれど、心は泣きたいくらい幸せだった。

「・・・もう少し冷やしましょうか。」
 布を乗せて 離そうとした彼の腕を、リアはそっと掴んでまた頬につける。
 少々驚いたものの、彼は拒みはしなかった。
「リークの手、冷たくて気持ち良いから・・・ もう少しだけ こうしてて・・・」
「―――良いですよ。」

 似てる・・・ あの夢の感覚に・・・
 断片的に残る夢の記憶と同じだわ・・・
 貴方が傍に居る、とても幸せな夢だった気がする・・・



 ―――回想終了。

「・・・本当に覚えてない・・・・・・」
 前後の事は思い出せるのに 肝心の夜の記憶がすっぽり抜けている。
 お兄様に乗せられていろいろ飲んだ覚えはあるんだけれど。
 途中から記憶が曖昧で、それから記憶は急に朝まで飛んでいた。

「他の記憶・・・ リークが居たのは責任感じたお兄様の代わりに"1日介抱"しに来たから・・・
 ってそうじゃなくて。」
 考えて思い出せないものは いくら考えても意味が無い。
 おもむろに机の引き出しから手紙とインク、その他諸々を取り出した。
「こうなったら知っている人に聞いた方が良いわ。」



 数日後、返ってきた返事にはこう書いてあった。

 ―――手紙じゃいつ誰に見られるとも限らない。あの手紙は読んですぐ処分した。
 直接話した方が早いし確実だ。会いに行くから待っていろ。

 "ルディス=イレルド=ロークワット"―――




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